■株式会社河出書房新社
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つづきをよみすすめた。
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日記
5時間ほどぶっ通しで読みつづけた。
230項までたどり着く。
革命、共産主義、全共闘。
今ではすっかり古くなってしまった運動であるが、彼らが日々何を考え、どのような問題意識を持っていたのかを知ることは、むしろ今日の幸福に見えながらもどこか空虚感を醸し出す福祉国家を捉え直す良き機会であり、有意義であると私は考えている。
・・・
お金と愛、どちらが大事かという問いがある。
前者は定量化のできるものであり、後者はできないと考えられる。
定量化できるものは自ずと物質的なものであり、できないものは定性的、つまり精神的なものである。
ここで「物質/精神」の二分法を見出すことができよう。
・・・
マルクス主義者の掲げた共産主義は富の共有化に他ならない。
従って、貨幣という概念を打ち消すものとなり、イコール富の定性化になる。
マルクスの論理構造は著しく複雑なものであるので私は私なりに単純化して考えることにした。
以上の論理に従えば、つまり「物質/精神」の二分法で考えるならば、共産主義は結果的に後者に重きを置くことである。
・・・
言葉と物の関係についても言及したい。
目に見えないものをイコール精神とすることはできない。
放射線、赤外線などは目に見えなくとも機器による観測からその存在が認められているからである。
言葉はいじくりまわせば実際には存在しないものについても言及できる。
一方、物質と言葉が一致する意味体系も存在している。
言葉とはいったいなんなのか。
ホンモノとニセモノについて考えてみる。
前者は後者に先行する。
なぜなら、ニセモノはホンモノの模倣であるからだ。
そうなれば真と偽の区別も同様である。
真は偽よりも先に存在する。
(ここでこれを「ホンモノ・ニセモノ論」と呼ぶことにする。)
・・・
ここで仮説を導入する。
先に存在することが真であるという点の言語上の意味である。
仮に物質が先に存在すれば言葉はそれのみに言及できるような体系になっているはずである。
「三角形であると同時に円」といった無意味な文章は存在し得ない。
ここは最後の結論につながるので強調したい。
形而上的に、言葉は物質よりも先に存在していなければ真となり得ない。
言葉は情報でもあるわけである。
従って宇宙の原点は情報、つまり精神が先にあった、という実在論的な言及が可能となる。
・・・
もういちど繰り返す。
お金と愛、どちらが大事か。
これは物と言葉が一致する意味体系に属する命題なのか、そうでないのかで分けることができる。
「三角形であり円」という文章は後者である。存在できないからである。
問題は、問いの答えが意味体系に属しうるか、である。
ここで、物質と精神の先行性について先ほどの考えを引っ張り出す。
真理は先ほどの「ホンモノ・ニセモノ論」に従えば精神、つまり愛が先行しているわけで、物質、つまりお金はニセモノとなる。
そして歴史的に共産主義は失敗した。
つまり「愛」は失敗し、物質が「真理」となった。
ここに本書を貫く「矛盾」が不合理に存在しているように思えたのである。
公開日2022/10/22