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読書日記780

          池田晶子『考える人』中公文庫(1998)

■株式会社中央公論新社

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日記

今日は珍しく忙しい一日であった。

そのなかでも、少ない隙間時間を利用し移動時間は本書を読んだ。

・・・

池田晶子のミシェル・フーコー、ジャック・デリダに対する痛烈な一撃を、場外ホームランのような痛快感を味わいながら読んだ。

まずフーコーに対しては、「神の死」というものを論じている貴方は神というものを、狂気に陥るその手前まで、死ぬ気で考えたことがあるのかと述べた。

世界はどこまでも戯れで決定不能と貴方は言うが、真剣に考えれば考えるほどニーチェですら狂気になるような事態のことを、貴方はただ「戯れ」というものを理屈でしか理解していない、と述べた。(意訳)

ジャック・デリダに対しては、やはりあの「プラトンのパルマケイアー」を引っ張り出して池田晶子は痛烈に批判していた。

デリダは書き言葉を端から信用していない。

ただ、プラトンはそれでも書き残しているという至極当たり前のことを、見事に誤読していると語る。

やや心のなかで唸りながらも、やはりホワイトヘッドに軍配が上がったように感じた。

彼いわく、現代の西洋哲学はプラトンの注釈にすぎないのである。

その通りではないだろうか。

いや、私のレベルではまだその通りだと信じたいという段階ではあるが、池田晶子の力はそこらのエセ知識人とは二歩、三歩先に行っているように感じる。

公開日2022/10/26

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