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小坂井敏晶『責任という虚構』読了

       小坂井敏晶『増補 責任という虚構』ちくま学芸文庫(2020)

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つづきをよみ終えた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/22/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98808/

   

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感想

一読しただけでは全てを把握することはできないが、ある程度は押さえられたように感じた。

小坂井氏の考える「無責任」について軽くまとめ、感想を書いて終わりにしたい。

小坂井氏の例を引用する。

まずお札自体には価値がない。自分で生産した商品に買い手がいて、買い手のお札と交換するのは、次に交換したお札で売り手の商品を交換する相手がいることが暗黙のうちに了解されている。

小坂井氏はこの例をババ抜きでで例え、お札をジョーカーだと表現した。

かくしてジョーカーは循環しつづけ、ジョーカー自体は消滅することはない。

「無責任」とは、ジョーカーの無限循環のように流れ続ける現象だと説明した。

虚構という名のババ抜きである。

・・・

物事を知れば知るほど逆に分からなくなる。

逆説的に、知れば知るほど「知らないことが増える」のほうが正確な表現かもしれない。

何について知らないのかが分かるようになる。

それによって問いが増える。

問いの数が原動力となって前へ進めるようになると実感した。

何かを知ったときに次の問いが派生しなければそれは思考停止であり退化である。

公開日2022/11/4

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