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読書日記793

     池田晶子『私とは何か:さて死んだのは誰なのか』講談社(2009)

■株式会社講談社

公式HP:https://www.kodansha.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/KODANSHA_JP?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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メモ

ヘーゲル「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」

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日記

池田晶子の本は読めば読むほど面白味の増してくる奇妙な本だと感じている。

噛めば噛むほど味が薄くなるのはガムであり物質であり、噛めば噛むほど味が濃くなるのが池田晶子であり精神なのである。

・・・

タイムリーで今読んでいることに関する「自己責任」について池田晶子が語る。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/21/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98792/

  

池田晶子は、自分がそうしたいからする、ただそれを自己責任であるとしていた。

それ以外については無責任という考え方であった。

当たり前であるが基本的に人生は自由である。

しかし、人生の「全て」の責任をとることを容易に引き受けられるか。

鋭い問いかけのように思う。

そして人は保険をかける。

保険の発想は池田晶子的には「無責任」なのである。

ここは重要なのでこの先も私は忘れないでいたい。

責任とはなんてややこしいものだ。

小坂井敏晶氏は責任の還元不可能性について論じているのであって、責任の存在自体までは疑っていないように思う。

公開日2022/10/31

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