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読書日記794

           小坂井敏晶『増補 責任という虚構』ちくま学芸文庫(2020)

■株式会社筑摩書房

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つづきをよみすすめた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/21/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98792/

  

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日記

後半は非常にややこしいがなんとか整理することはできた。

様々な研究者の論述を引用しながら責任の特定が不可能であることが見えてくる。

・・・

まず運によって責任の大小が決まるという不合理が存在している。

端的に言えば、たまたま事件現場の近くに優秀な医者が通りがかって、運良く被害者の一命を取り留めた場合と、不運にも渋滞で救急車が遅い場合や近くにLEDが無く被害者が亡くなってしまった場合では責任の重さが変わる。

ところが犯人が何をしたのか自体は両者とも同じである。

これがもっと大きなスケールとなって出現したのがナチスである。

次にカントの自然因果律と自由因果律の話に移る。

中島義道氏がうまく整理していた。

・・・

当たり前であるが、放火の原因はその犯人であるが、実は条件も隠れていて、そこには燃焼ごみや酸素がなければ火災は発生しない。

ある行為に対して原因を特定することが実は複雑なことが見え透いてくる。

条件が無限にあるとすら思われてくる。これが現実世界、すなわち複雑系の世界である。

自然因果律を突き詰めると、時間軸上、そもそも犯罪行為が起きる前に何がそれを誘発したのかを無限後退的に考えなければならないが、現代の科学力では不可能である。

さらに厳しい事実がもうひとつある。

・・・

リベット実験では、意思を自覚する前に無意識の信号が発生することが示されている。

これは信号が発生することのみを示すものであり、本書をしっかり読むと、実は信号と意思の自覚の間には0.2秒の空白時間が存在する。

別言すれば、この0.2秒の間、もっと細かいことを言えば筋肉の関係で0.15秒の間に途中却下できる可能性はあるが、その途中却下が本人の意思でされたものか特定することは技術的に不可能であるというものであった。

・・・

カントの自由因果律は道徳法則が拠り所となる。

しかしここにも難題が残る。

願望と意思の区別である。

結論から書くとそれを区別するには実際に起きた「行為」からでしか区別することはできない。

結局振りだしに戻り、行為は外部的な要因、環境によって大きく左右されるというアイヒマン実験に戻るので、責任を特定することはもはや不可能であることが見えてくる。

・・・

ふりかえると、考えれば考えるほど私たちは現実をいかに単純化していることが分かる。

理論を追ってばかりいては現実が成り立たない。

そしてどこかで妥協せざるを得なくなる。

これが社会の不合理のひとつであるということは理解することができたように思う。

公開日2022/11/1

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