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読書日記797

         小坂井敏晶『増補 責任という虚構』ちくま学芸文庫(2020)

■株式会社筑摩書房

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つづきをよみすすめた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/22/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98794/

  

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日記

270ページまで読み進めた。

哲学的に考えるならば自由意思は存在し得ないことはこれまで散々本書のなかで論じられた。

結論としては、自由があるから責任が発生するという発想は逆で、本当は責任を社会が要請するから自由というものが作られるという主張であった。

著者は責任という現象をさらに広い視野で解明する試みを行う。

正直な感想としては、200から300ページはカオスのように議論が錯綜しているので、完全に議論を追うには時間を空けて何回も本書読む必要性を感じつつある。

・・・

ではそのつくられる自由とはなにか。

自由と責任についてうまく説明できるものはなにかないか。

カントの定言命法である。

自由というものを簡略化し、「感覚」として捉える。

感覚的に私たちは自由であると感じている。

因果論で責任を追求できないことは判明したので、因果論を却下し、独立した法則としてカントの理論を借用する。

道徳は目的を達成するための手段ではなく、道徳そのものを目的にすべきだと。

しかしそれにも反論があり、善行とは我々が何をすべきか、という具合に。

そして議論は社会秩序について、すなわち刑罰の意義についてシフトしていく。

ここで功利主義の考えが挿入され、相対主義のように真理が薄らいでいき、結局のところ道徳の拠り所である「善」も影が薄くなっていく。

かくして、自由も責任も益々不透明になっていくのがこの四章を読んだ印象であった。

いったいどうしてここまで複雑に議論を展開させるのか。

一旦時間を置くしかない。

公開日2022/11/1

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