■株式会社河出書房新社
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つづきをよみすすめた。
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日記
暴力に関する論述を読みながらいろいろと考えた。
高橋和巳は書く。
人間の精神と身体によって築き上げられるあらゆる価値、その生成可能性に対して、権威が過酷な労働環境へ押しやったり、可能性を潰すような環境へ投げ込むことが「暴力」であると。
・・・
これは、俗な言い方でいうと「自己実現」に対する妨害である。
広い意味で捉えるならば、小さな暴力はやはり現代社会にも多く存在しているように見える。
また、その小さな暴力について賛否両論あるのもまたひとつの現実でもある。
・・・
例えば画一的な教育が子供の才能を潰すということはよく言われる。
塾がその象徴であり、詰め込み式で、大学まで人生の意味についてあまり考えさせないような、ある意味では下らなく、勿体なくもある大学受験の構造があるように個人的に見える。
浦和高校在学時の佐藤優氏はその受験の構造について、感覚的に拒否するものがあったと書いている。
・・・
自己実現も暴力も、言葉としてはかなり抽象度は高い。
だからこそその本質についてしっかり考えるべきなのであるが、どこかで人々は諦めてしまう点があるのではないか。
そして娯楽、エンタメへと向かわせてしまうのではないか。
この考え方は賛否両論なので、反対意見も承知で、これは個人の選択に委ねられるが、小さな暴力は見逃すことはできないと思われる。
例えば、親ガチャという言葉に甘んじて人は無力感に陥るのか、はたまた逆に開き直って道が開くのか。確かに検証がなされていないので何をもって暴力とみなせるのか断定はできない。
執行草舟氏は「笑顔のファシズム」と揶揄しているが、私は部分的に同意するものがある。
つづく
公開日2022/11/2