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つづきをよみすすめた。
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日記
つづきから最後まで8時間もかかってしまった。
(下) のほうはゆっくり読み進めたいと思う。
そしてよく見れば上下合わせて800ページではなく1100ページという怪物的な長さであった。
(以下ネタバレ有)
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執行草舟氏が『現代の考察』(毒を食らえの章) のなかで、「『魔の山』には毒が詰まっている」と語っていた。
読み終わってから、なんとなくではあるがその意味が理解できたように思う。
つまり、悪魔の「魔」であり、魔術の「魔」である。
前者は文明であり、後者が肉体であるように思う。
カストルプは半年以上のサナトリウム生活を経て、ある「計画」を実行する。
上巻の内容に則せば、それはセテムブリーニから影響を受け「苦悩を打ち消す文学の追及」することにあった。
ここからは解釈の分かれ目だ。
執行草舟氏は苦悩(=毒) を食らうことが人生であると説く。
それが武士道 (≒騎士道) の精神であり、『葉隠』の精神である。
しかし、武士道はヒューマニズム (=人文主義) とは相容れない。
(詳しく知りたいかたは『現代の考察』をご拝読を)
つまり、執行草舟氏に言わせれば、カストルプは転倒しているわけである。
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そういう読みをすると「魔」の意味が180度回転する。
「魔」とは、人間が肉体的な欲求に抗えずに、欲望に飲まれていく意味合いのように感じた。
だがしかし、苦悩を取り除こうとすると今度は文明という「魔」に飲まれるわけである。
(苦悩を除こうと必死になって福祉国家が誕生したのが現代でありヒューマニズムである。)
そうではなく、苦悩を受け入れ、自ら破壊することが執行草舟氏の教えであった。
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とはいえ、ここから先は自分で考える必要がある。
偉い人が何を言おうと、最後に判断するのは自分自身である。
カストルプは文学を、苦悩を取り除く手段であると考えた。
それもひとつの良心である。
自分ならどうだろうか。
そこまで真面目に考える必要はない。
池田晶子ならば本書を通じて、何が善であるのかを引き出す材料とするかもしれない。
しかし自分はその領域にまで到達できそうもない。
そもそも善に対する認識が、本書の読書を通して足りていないように痛感した。
無目的にひたすら前にすすむ。
善という抽象的なことはひとまず置いて、問いかけるべくは、人間にとって進歩とは何かだ。
そちらの問いかけを念頭に下巻をゆっくりと読み進めていきたい。
公開日2022/11/12