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つづきをよみすすめた。
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日記
第三回の終わり、182ページまで読み終えた。
内容的には難解ではあったが、マルクスが貨幣、生活、労働、政治形態に対して本気で考えていた様子が伝わった。
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まず本書を読む前に素朴な疑問があった。
私有財産を認めない社会において、婚姻はどのような形態を取るのか。
例えば、御田寺圭『正しさに殺されないために』(2022) において、マッチングアプリに失望した男性の話が語られる。
恋愛の世界では、俗な言い方では「スペック」 によって人間の価値が決まることも少なくない。
スペックとは社会的地位、年齢、身長、顔に関する総合的な評価のようなものである。
しかし、このスペックというものは性質上、資本主義体制の枠組み内によってある程度規定される。(主に年収)
共産主義体制を考えることは、少なくともこれが「廃止」された自然状態を考える必要がある。そしてマルクスはしっかりと記述している。
本書の読解によって、マルクスは一夫一婦を支持していることが分かった。
その理由のひとつとしてはまずブルジョワ批判が挙げられた。
マルクスの思想は、ある意味では非常に人間的であるように感じた。
一夫多妻制は人間の本来の在り方ではないと考えていたようである。
また、共産主義と共産主義者の厳密な違いについても少し理解がすすんだ。
端的に、マルクスの理論体系は複雑であって、「私的財産の所有を認めるな」という単純な発想ではない。「共産主義=私有財産の撤廃」という単純な思考で理解している者が後者とされる。
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それに付随する形で、20世紀ドイツ思想家間の相関関係について少し把握することができた。
例えばアドルノはマルクス主義に依拠しながら、貨幣の一元的な支配という側面から論じていたのに対し、フランクフルト第二世代のハーバマスは彼とは距離を置いていたことなどが語られた。
またフッサールの問題意識、出発点も部分的に理解することができた。
現象学は、科学と哲学の分離(いっそう深まる専門の領域化)を危惧したことから始まった点や、ハーバマスがこのフッサールの「間主観性」を応用していたことから、思想家同士の連結性について理解することができた。
公開日2022/11/9