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読書日記814

           仲正昌樹『フーコー〈性の歴史〉入門講義』作品社(2020)

■株式会社作品社

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日記

160ページまで読んだ。

思想という括りではあるが、歴史的裏付けによる系譜学的な権力論ということで、単なる個人の感想ではないというのは十分伝わるところではあるが、原典を先に読まなければあまり収穫がないように感じた。

・・・

ひとつだけ印象的な点を挙げるとするならば、権力の偏在性についてドゥルーズ+ガタリの提唱した「リゾーム」に通ずる点があるというフーコーの読みであった。

権力というと国家と連想しがちであるが、そうではなくて、権力はそもそも語源からして「暴力(ゲヴァルト)」と同じであることから、力関係から付随するものだと解釈することができる。

例えば部活動では、部員同士のなかで権力構造(=上下関係)があり、その頂点として監督が君臨するが、大局的に見れば校長がさらに上にいるわけである。

力関係に着目すれば、国家権力とは関係なしにあらゆる人間関係のなかにゲヴァルトが存在していて、権力というものが分散的で中心がないように見えるわけである。

この考え方を応用すれば、権力と法律の絡み合いの構造分析に繋がり、また、欲望という観点から見れば法律との関連性も見えてくる。

フーコーの面白い読みは、欲望があるから法律で縛り上げるのではなく、むしろ法律が欲望を規定するという見方である。

禁酒法がまさにかっこうの例であり、法律が飲酒欲を強化したと言える。

以上、権力に関する考察がリゾームのように軸を持たず、各々の枝で議論が枝分かれしていく様子が見て取れた。

公開日2022/11/9

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