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つづきをよみすすめた。
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日記
420ページまで読みすすめた。
主人公のカストルプはサナトリウムで暮らす様々な人物との交流から人間に対する理解を深めていく。
個人的には、上巻ではイタリア人の人文主義者、セテムブリーニとの議論が本書の中核的な内容になっているように感じた。
(以下、内容に関すること、つまりネタバレ有)
・・・
セテムブリー二という人物は、サナトリウムにおける人間の退廃ぶりを絶えず主張する。
終いには体温のこととイチャつくことしか考えないようになる、と述べた。
トーマス・マンは読者にどのような問いかけを与えようとしているのか。
教養小説という位置付けは、読者からすれば端的に「お節介」である。
(ゲーテ『ファウスト』に匹敵する古典とも呼ばれることもあるとはいえ)
どう生きることが人間らしいのか、どう生きることが立派なのか。
そのような読み方もなきにしもあらずではあるが、個人としてはそのような問いかけはしない。
人間を退廃させるメカニズム、原理とはいかなるものであるか。
800ページにもわたる本書に長い時間捧げるのであれば、そちらの問いかけのほうがより具体的で意義あるように思う。
エーリッヒ・フロムに言わせればそれは「自由であるから」であり、オルテガからすればそれは「向上心の欠如」であるからだろう。
だがそれでは人間というものを語り尽くせていないように感じる。
そして「ヒューマニズム」という言葉が抽象的でありかつ多義的なものとなっているのはまさにこのことによると思うのである。
ここで池田晶子の問いかけが幅を利かせてくる。
善く生きるとは何か、というその問い以前に「善とは何か」の問いかけがなされていなければならない。
つまりは、「人生とは何か」という問いかけを行う前にそもそも人間についての洞察がなければならない。
人生とは何かという問いが弱いのはそのためである。
ソクラテスがなぜ物事の細部にまで拘るのかといえば恐らくこの為である。
公開日2022/11/11