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読書日記831

         トーマス・マン『魔の山 下』岩波文庫(1988)

■株式会社岩波書店

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メモ

カストルプ「人間は善意と愛とを失わないために、考えを死に従属させないようにしなくてはならない。」

カストルプ「愛のみが、死よりも強いのだ。」

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日記

塵も積もれば山となる。

『魔の山』は上下合わせて約900ページ読み進んだ。

感情と理性が分離していると考えることは『デカルトの誤り』において否定された。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/23/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98824/

   

自分は感情、理性、人間愛の三角形を思考体系として捉えてみた。

性善説、性悪説。

これは要するに、愛が憎悪と表裏一体であるから生まれる発想なのではないか。

ある正義は必然的にある悪を生む。

このことは恐らく避けられない。

つまり、正義とは何らかの悪を受け入れることである。

そのように考えざるを得ない。

個人的に納得できるまで考えてきた。

絶対的なユートピアがあり得ない理由もなんとなく理解できる。

これを覆せるというのであれば、その理論を提示してもらいたい。

そんな気分である。

公開日2022/11/20

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