■株式会社青土社
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つづきをよみすすめた。
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日記
後半はいわゆる「ポストモダン」と関係付けて論じられた。
(ポストモダンの概略はこちら)
AIで知能を向上させ、テクノロジーで身体的機能をエンパワーメントすることを本書では「超人主義」と読んでいる。
(ニーチェのいう超人とは意味が違うと思われる)
三つ子の魂百までという諺があるように、可塑性のあるうちに環境に依存しながら人は自己を確立させていく。
人間は「生まれる」ことまでは選べない。
自己とは「関係性」のなかにおいてのみ存在する。
つまり、厳密には自己というものは内部にあるのではなく「外部」にある。
ここに気がつくことができないと「自殺の危険」が生じると著者は警告する。
“自己啓発へのナルシシスト的な態度は、関係性に関するこのポイントを脱し、結局のところ、死せる自己を作り出すことにつながる。” P104
ここでタイトルの意味の一部は回収されたように思う。
養老孟司氏は、自分探しの無意味性について本のなかで語っている。
それは自己というものが常に流動的だからである。
ミクロ的にも毎日のように細胞分裂を繰り返し、あっという間に総入れ替えが行われるように、価値観というものも無常なのだろう。
それは日々生活するなかで様々な環境、人間との出会いによって感化されるからだと感じた。
公開日2022/11/23