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読書日記853

  柄谷行人『近代日本の批評Ⅰ 昭和篇 上』講談社学芸文庫 (1997)

■株式会社講談社

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日記

定義というものは普通先にくるものであるが、文学史的には後からくるものなのかもしれない。

「いまふり返ればあれはああだった」

という具合に。

小説は芸術でもあるとされるが、今日の「大衆小説」と呼ばれるものに芸術性はあるのか。

純文学と呼ばれる小説は一般に芸術性を追求する小説と言われている。

しかし、本書によれば明治期の小説は「純文学」であった。

大衆小説と純文学、なにがどう違うのか。こういうのが現代人にとって混乱している、まさに今の自分がそうであった。

落合勝人『林達夫 編集の精神』を読んだことで理解したのは、関東大震災以後、急速に本が普及したことによって読み手が変容したことである。

本書によれば、夏目漱石らの近代文学の読み手は明治期のインテリ層だったとされる。

小説の質的変化は時代の流れに影響を受けることを理解した。

また、大正時代はマルクス主義が文学界に否応なく侵入してくる時代であった。

そしてマルクス主義に感化された作家たちを小林秀雄や林達夫が痛烈に批判。

本書を読むことで近代文学の歴史的な流れが立体的に見えるようになってきたように思う。

公開日2022/12/3

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