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読書日記854

ハンナ・アーレント『思索日記 II 〈新装版〉: 1953-1973』法政大学出版局(2017)

■一般財団法人 法政大学出版局

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日記

小林秀雄の言いたいことが分かるようで分からない。

しかし、彼の言うことの本質を掴みかけている気がしないでもない。

全くもって何を言っているのか、意味不明という類いの批評ではないと感じた。

そして非常に大事なことを書いていると思わせられる。

認識、自意識、美的感覚、論じられる対象は多岐にわたるが、批評とは対象そのものに入りきる、没入する、一体化する、そういう類いのことを抽象的な言葉で書いていることは伝わる。

マルクス主義に感化されてしまった作家たちを批判した理由としては、観念だけで語っている操作的な態度、そして実体を捉えていないが捉えた気になっている、そういうものを矯正したかったのだろうと感じた。

・・・

思索日記ではとりあえずアーレント二つの考えをメモした。

アーレントは近代経済学における消費者の消費行動について、「消費するのは消費するためなのだ」というトートロジーを指摘していた。

最近思うのは、トートロジーというものはあらゆる物事で見受けられる。

またアーレントは、ソクラテスは「なぜ」と問うことはせず、「何か」を問うことに徹していたと分析していた。

なぜという問いに答えはない、という指摘にはそれは価値判断の世界であって、反証可能性がないからだと感じた。(「事実/価値」の二分)

公開日2022/12/4

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