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読書日記860

   ポール ド・マン『美学イデオロギー』平凡社ライブラリー(2013)

■株式会社平凡社

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          浅沼圭司『ゼロからの美学』勁草書房(2004)

■株式会社勁草書房

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つづきをよみすすめた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/29/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98859/

   

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日記

『ゼロからの美学』では、プラトンの文献内で引用された「うつくしいことはむずかしい」という諺が示すように、美の定義がいかに困難な作業であるのかが語られた。

例えば、五感のなかで「視覚」と「聴覚」は美しさを感じることができるが、臭覚、触覚、味覚からは感じることができないことが挙げられた。

また、「有用性」の観点からは美を説明しきれないことも語られた。

・・・

まず自分は「美とは機能の超越性」という仮説をたてた。

例えば、何気ない風景を写真にとっても「美しい」と感じることはできない。今風に言えば「映えない」。

しかし、その風景を鉛筆で完全に再現した絵はどうだろうか。

あまりにも緻密に描けていればそれは「美しい」のではないだろうか。

それはつまり、文字を書くという機能から超越しているからではないのか、と私は考えた。

しかしこの考えに当てはまらない例もあるだろう。

『ゼロからの美学』では、それは美が「相対的」であるからだという。

・・・

『美学イデオロギー』は、ド・マンがカントの美学をどのように批判しているのか気になったので読んだ。

まだ分からないが、本書ではカントが、究極的には美の原理が物質に還元されること、つまり唯物論に成りかねない主旨のことを書いたとあった。(間違いがあれば後日訂正)

これは『判断力批判』を読み込まないとハッキリと言えないので保留。

しかし、この美の深さ、美学が様々な分野に応用できるこの普遍性には面白味を感じる。

公開日2022/12/10

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