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読書日記867

ホルヘ・ルイス・ボルヘス (著), オスバルド・フェラーリ (著)『記憶の図書館』酷暑刊行会(2021)

■株式会社国書刊行会

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その他数冊

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日記

限られた時間のなかで、なるべくなら多くの傑作に巡り合いたい。

しかし、本は最後まで読まなければ価値が分からない。最後まで読んでも数年以上価値に気がつけないことも多くある。

ときには作家に頼る。

今日はボルヘスとフェラーリの対談からオスカー・ワイルドやヴァージニア・ウルフ等の知識を拾った。

ちくま文庫から出ている『オーランドー』という作品について、ボルヘスによれば傑作だと話す。

ジュンク堂でみかけた記憶があったので、時間があればこの作品に触れたい。

・・・

『池澤夏樹、文学全集を編む』については、河出書房から全集が誕生した背景の話から進んでいき、今日のグローバリズムのなか、文学はどうあるべきか、人間とは何かという漠然としたテーマから新人作家の話まで(ここがとくに個人的に気になるところであった)、様々なトピックについて語られる。

日本の文学が英語なり他の外国語に訳される場合、外国人にとっては読みにくいものとなってしまう点などが挙げられた。

日本という名のガラパゴス諸島は文学界にも侵食していたのかと感じさせられた。

・・・

今日はアドルノの「仮象」という概念やその背景について軽く学んだ。

仮象とはかいつまんでいうと「現実の断片を素材とし、虚構的な表現で成立された芸術作品。その概念言語にはある種の迫真性、真理性を保有し、鑑賞者に訴えかける性質を保有するもの」といった内容であった。

現実でありながらもあくまでも虚構であるという、二重の性質を持つ。

しかしニーチェがのちに非難したヴァーグナーは、芸術が現実であり真理であることを主張し過ぎた節があったようで、ある種の宗教となってしまった点をアドルノが批判していた。

また、商業としての、作品としての芸術作品は「利益に操作される事業となってしまった」と批判した。

・・・

しかしながら、池澤氏が言っていたように、どんな作品も売れなければならない。一度始めたら最後までやらずにはいられない文学全集は、会社の命運をかけた戦いでもあった。

芸術作品と商業主義との噛み合わせというものをこの方から学んでいきたいと思う。

公開日2022/12/21

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