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新・読書日記90

        執行草舟『生命の理念Ⅰ』講談社エディトリアル(2017)

■株式会社講談社

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       エッカーマン『ゲーテとの対話 中』岩波文庫(1969)

■株式会社岩波書店

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つづきをよみすすめた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/28/%e6%96%b0%e3%83%bb%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%9888/

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メモ

『ゲーテとの対話 中』

   

”私は健全なものをクラシック、病的なものをロマンティックと呼びたい。そうすると、ニーベルンゲンもホメロスもクラシックということになる。なぜなら、二つとも健康的で力強いからだ。近代のたいていのものがロマンティックであるというのは、それが新しいからではなく、弱々しくて病的で虚弱だからだ。” P102

   

”しかしそれから、ゲーテは、ナポレオンに関する新しい本について、私にさらに語るのであった。「真実の力は偉大なものさ」と彼はいった、「ジャーナリストや歴史家や詩人たちが総動員でナポレオンの上にかぶせた後光や幻影も、この本のおそるべきリアリティを前にしては、すっかり消え失せてしまったよ。” P119

  

『生命の理念Ⅰ』

“本質的には言語能力の問題は人間関係の問題なので、学校の授業の問題ではないことを、まずは認識する必要があります。” P299

  

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日記

『色彩論』のある部分のゲーテに意見に対してエッカーマンが異論を挟んだ。するとゲーテが苛立ちを隠せず、自分の意見を全く曲げずにそれどころか「君はまるで分っていない」と言わんばかりであった。

のちに色彩論は科学的には間違っている点もあるということであったが、主観的なものもある程度関わってくるのでなんとも言えなかった。ただ、少しでも自分の意見に疑いの目を向けないゲーテはある意味、頑固というか、良い意味では絶対的な自信に満ち溢れていた。

  

・・・

執行草舟氏の本はトピックが次から次へと移ろう。後から振り返ると個人的には、ダーウィンに関する話が印象的であった。ダーウィンの進化論が見逃している点については『生命 科学の忘れ物』に書かれている。

突然変異では絶対に分からないことを(共感覚の発達、文化の爆発的進歩)その本では指摘していた。

執行草舟氏もそのあたりをいろいろと突っ込んでいた。内容も『生命 科学の忘れ物』とほぼ似たようなことを語っていた。

  

突然変異では人間の登場を説明できない。

漸進的に人間は猿から発達したというのは出鱈目である。

精神は突然発生しないというのと似ている。というよりかは同じかもしれない。

ダーウィン主義が浸透してしまったせいか、現代人には進化の本質をが理解されていないみたいである。

それが科学思想の蔓延を許してしまう。そうだと自分も思った。

  

常に新しいものが正しいという考え。常に発達していくのが正しいという考え。

現代を覆う社会病理である。

いまいる白人がアフリカに住んだ場合、天候が変わらないという前提に立てば肌は黒くなっていく。

人種に優位劣位は存在しない。

  

このような思想背景にあっては、老人が邪魔者扱いされるのも当然である。新しいものが正しいのであれば、常に若い世代だけが正しいということになってしまう。エンタメなどは既にそうなっているのではないだろうか。

ということがいろいろと語られたが、どれも納得のいくものであった。読んでいて爽快。気分がスッキリした。

 

・・・

ペストの話は圧巻。

執行草舟氏は、社会思想と病気について語った。病気にならないと思っていれば実際に本当に罹らないという。それは歴史的にも文献的に裏付けられているのだという。本当かと、疑問でしかなかったが、『ゲーテとの対話 中』に、意志力次第でぺストにかかるかどうか左右したということが本当に書かれていた。

“「しかし、ペスト患者を見舞ったというのは事実だよ。しかもそれは、恐怖を克服できるものなら、ペストだって克服できない筈がないというサンプルを見せてやるためだった。そして、彼のしたことは正しかった! 私にしても、自分の生活から、一つの事実を話してもいい。腐敗熱が流行したさい、私もやむをえず感染の危険に身を曝すことになったが、私は、ただ断固たる意志の力に頼るだけで、病気から自分を守ったのだ。そんなばあいに、精神の意志力というものがどんな働きをしうるかは、信じがたいものがある。(一部省略)” P128-129

  

死因は後出しジャンケンのようなものである。たしかに病気に罹っていることは間違いないが、死因はその病気に罹った原因までは説明しない。その原因を特定するには、人体という神秘を前にしてはあまりに複雑すぎて現代科学ではお手上げだろう。

精神というものがいかに免疫にかかわっているのかを再認識。

そして、精神は腸脳相関によって、細菌と密接にかかわっている。

生命というものを考えるには、必ず精神と菌にいきつく。

執行草舟氏の達観ぶりには畏敬の念を抱かざるを得ない。

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