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日記
美学上の問題をマクロ的に捉えたいと思い、宮台氏の本と平行して読み進めた。
バークとカントの考察を踏まえ、まず「美」と「崇高」の整理を行った。
「美」は心地良さと切り離せないが、「崇高」はそうでないことを理解した。
感動を生じさせる体験は心地良さを超えたものだと思われる。カントが美と崇高を分けたのは以上の為だと理解した。
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マクロ的に考える場合、社会学は大いに役に立つ。
宮台氏はマックス・ヴェーバーの理論に依拠しながら、現代社会の特徴を「法の奴隷化・言葉の自動機械・損得マシーン」とした。
そのあと、映画において展開される物語を複数の二項対立上の図式に代入しながら説明した。
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定住化が始まって人類に法が生まれた。
「法内/法外」の図式で説明すれば、今の社会は法律を守ってさえいればどう生きるかを特に考えずに生きることができる、と宮台氏は書いている。
システムによって人間の繋がりが「直接⇒間接」へとシフトする。
(SNS、テレワーク、メタバース、マッチングアプリ等)
間接的な社会、つまり「法内」の世界においてはいかに生きるかを無視しても死ぬことはないが、「法外」においてはそうはいかない。
「法外」の人間にとって、「ontology=世界はどのようになっているか」を無視して「realism=どのように生きるか」を考えることはできない、と説明された。
そのあと「法外」の世界に生きる『万引き家族』の批評にシフトする。
この映画は、間接的な現代社会の構造のなか、無視されがちなontologyの回復がテーマとも言える。
ざっくり言うとそのような考察であった。
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「存在論的転回」というものが人類学の潮流のひとつでもあることが理解できた。(構築主義への批判)
構築主義=人間が現実を作ると考える立場
ここまで広く考えていくと、自分が今まで考えてきた美学というものは若干表面的であったかもしれないという無念さが残った。
とはいえ、まだまだ追求する意義は失われていないようにも見える。
どのように生きるか(=realism)、というテーマは美学とほぼ等価であるように思われたからであった。
公開日2022/12/25