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新・読書日記93

       米本昌平『バイオエピステモロジー』書籍工房早山(2015)

■有限会社書籍工房早山

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       エッカーマン『ゲーテとの対話 中』岩波文庫(1969)

■株式会社岩波書店

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メモ

『ゲーテとの対話 中』

(ゲーテ)”(・・・)なぜという質問はまったく学問的でない。だが、どのようにしてという質問ならば、一歩先に進めることができる。” P305

  

(ゲーテ)”「鉱物学の世界では、最も単純なものが最もすぐれているのだが、有機体の世界では、最も複雑なものが最もすぐれているのだからね。つまり、二つの世界がまったく違った傾向をもっていることと、また、一方から一方への段階的な発展は決して見出されないことがわかっているのさ。」私は以上の話をたいへん重要なものとして書きとめておいた。” P311

   

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日記

「why?」に対する応答として、「事実」に関する記述と「価値」に関する記述に分けることができるのではないか。

そして、前者の「事実」に関する記述の場合、それは「how?」と同じになるのではないか。

例えば、なぜ石は固いのか?といった問いには「分子が~」といった、説明的な応答の仕方になる。

これは事実を問うものであり、かつ「いかにして石は固いのか」という問いとして機能もする。

後者の「価値」に関する記述は科学的には実証が難しい問いに分類される。

  

なぜ〇〇は人気なのか?という問いに対して「how?」で答えるのはかなり厳しい。

自然は決定論的世界観のもと、機械的に動くのか、そうでないのか。

ゲーテの言葉は今日どの程度有効性があるのだろうか。

「how?」で問えないことが多いからこそ、科学者はそういった問いは無意味だと決めてかかっていると自分は考えた。

そんなことをしても何の利益ももたらさず、時間を浪費して終わる。きっとそう考えているのだろう。

そして、そうは考えない人が哲学に傾くわけである。

なぜなら、無意味だと決めてもなお、そこには無限の謎、神秘が隠されたままであるからである。

そしてそれを追求するのが非合理性のなかに巨大な力があるとみなす芸術家なのだろう。

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