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メモ
『生命の理念Ⅱ』
「現代の歴史学は考古学である」
“文献や資料や遺物を集めて、そこに記載されているものだけが真実だとみなすのが現代の歴史学です。ですから、新たな資料が見つかるたびに、それまでの真実がひっくり返るのです。それは歴史ではなく考古学と呼ばれる一種の科学になります。” P74
“フランスの哲学者アランも、「歴史はすべて神話である」と言っています。日本でも小林秀雄が「歴史とは、つまるところ思い出なのだ」ということを言っています。その思い出は神話なのだということです。” P78
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日記
ホメロス、プラトン、ダンテ、セルバンテス。
彼らの残した書物がなぜ生き残ったか。この事実は、見方を変えれば、先人の、先祖への尊敬心が非常に高いということを示す。そういうことを執行草舟氏は語った。
“現代の歴史学者のように、考古学的な証拠がなければ歴史とは見なさないという考えが間違っています。考古学は証拠などある方が珍しいですし、そんな物的証拠によって証明されることは、神話の価値に比べてまったくどうでもいいものばかりです。” P78-79
つまり、科学的な手法になればなるほど、歴史学は単なる事実の羅列により近づいていく。
今話題の渋沢栄一で例えてみる。
渋沢栄一はAをした、Bをした、Cをした、、、、と延々と事実を羅列していく。
ここでヒュームの考え方を応用してみる。事実「~である」から価値「~べき」を導出できないという法則となっている。
つまり、事実の羅列(歴史)のみからでは価値は抽出できないということを意味する。
これは要するに、渋沢栄一の内面(価値=価値観)を、歴史の集積体から抽出できないことをも意味する。
しかし、歴史を作ったのは明らかに渋沢栄一の精神である。
渋沢栄一には意志があり、目的があり、信念があった。それを解明するのが歴史の役割のひとつであると考えると、確かに科学的手法の限度というものが見えてくる。
ポール・オースターの本はあまり読めず。
今日も勉強のような読書時間となった。しかし今はそれでいい。読書は何も楽しむためだけにあるのではないのだから。