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読書日記919

      池田晶子『死とは何か さて死んだのは誰なのか』毎日新聞出版(2009)

■毎日新聞出版株式会社

公式HP:https://mainichibooks.com/index.html

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/mai_shuppan

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日記

60ページほど夢中になって読んだ。

改めて思った。

プラトン、ソクラテス、池田晶子、執行草舟、岡本太郎。

これらの人生の偉大な先輩には間違いなく共通点がある。

それぞれ言い方には違いがあれども、死に対する構えは同じだと思われた。

池田晶子は武士道という言葉に触れてはいないが、執行草舟氏と同じようにヒューマニズムに対して批判的である。

24項のタイトルは「人生は量ではなく質」とある。

臓器移植という技術は「脳死」という言葉を生み、まるで脳が人格であり生命の核であるかのような錯覚に陥らせる。

池田晶子は「人は生きることが幸福である」というヒューマニズムの前提を「薄っぺらな生命礼賛」と喝破する。

・・・

執行草舟氏も同様に、ヒューマニズムを物質主義として批判。

物質主義は人間を動物化させる。

その証拠に、書店にいけば物質(=お金)や幸福に関する本で溢れている。

そしてそれらは大抵入り口付近にある。数年前からほぼ毎日本屋に行っているが、入り口にアカデミックな本が置いてあるのは池袋のジュンク堂くらいである。

なぜ科学書や人文書が入り口にないのか。売れないからである。

・・・

彼らは筋を貫いている。

プラトンとソクラテスは善く生きることを徹底的に考えた。

ソクラテスは死刑を受け入れたことによって最後まで信念を貫徹させた。

池田晶子の晩年は記憶にないが、恐らくは延命治療をしなかった。最後は癌で亡くなったとされる。

執行草舟氏は武士道の精神で生き続けている。

岡本太郎は自分の筋を通し続けることを貫徹した。

己をどこまで貫徹できるか。

それはやはり自分との闘いでしかない。

公開日2023/1/29

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