■株式会社筑摩書房
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メモ
“一定の目的をもった自然物は崇高たりえない。” P48
装飾品=「目的に付加された目的」
パレルゴン/エルゴン 作品/装飾
ポール・ヴァレリーの美の定義
“「有限の形式のもとでの無限」” P64
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日記
今日はひたすら古本屋をまわった。東京では雨が凄かったらしいが、幸いにも自分は全く雨と無縁な一日であった。
BOOK・OFFで面白い本を発見したので読んでみることにした。
芸術とパラドックスについて書かれている本が少なくない。しかしどれも挫折したので、ある程度時期を経たので今度はこちらを読んでみることにした。
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美は「目」と「耳」からしか感知できない、ということをヒッピアース(大)のなかでソクラテスが語っていた。
味覚に関しては本書でも指摘されているように、「美味」と表現されるが、「この味は美しい」とは言わない。
触れることで「この触り心地は美しい」とも言わない。
「この匂いは美しい」とも言わない。
しかしよくよく考えてみると、これはかなり深い。
今日は自分なりに考えた結果、美は4種類に分類される。味覚に関しては「美味」と表現されることがあるので一応、美に含めることにした。
まず対象との距離がゼロかどうかで分類する。
視覚的な美しさは対象と距離がなければ成立しないので、視覚的な美しさは距離がなければならない。
しかし味覚に関しては対象が自分の口のなかなのでゼロである。
また、聴覚についてもイヤホンを考えてみればわかるように、距離はゼロである。
もうひとつは「この人の生き方は美しい」といった、内的表象に関する美である。こちらも観念的なものなので距離はゼロである。
ひとまず距離がゼロのものが3つ、そうでないものが1つに分かれた。
視覚的な美しさ、美味とされる味覚、美しい音、内的な表象。
以降の詳細な吟味はまた明日以降してみたい。
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本書では装飾品と美について深堀された。
装飾は目的に付加された目的、という面白い表現であった。
盛り付けで考えればわかりやすい。盛り付けは食欲がわくように、美味しそうにみえるように、きれいになされる。そして添えられる飾り葉はそれをより引き立たせるという意味では目的に付加する目的と言える。
(前者は食欲をわかすため、後者はもりつけを引き立てるため、と言える)
目的と美は奥深い。えんぴつアートで再現された完璧な肖像画などは美しい。
これは文字を書くというえんぴつの機能を完全に満たしているという意味で、「技術によって美=機能美」とされる。
これが産業に領域を広まっていくと、技術は最終的に道具としての美に収束するか、あるいはそこから離れていく美に発散するかといった論争が起きた。(ラスキンかデュルケームか)
カントも美の定義として「無目的の合目的性」と、目的について触れていることも興味深い。
美学は深いからこそ、やはり興味がわく。