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読書日記929

ミシェル・ビュトール『レペルトワール (I 1960) (ミシェル・ビュトール評論集)』幻戯書房(2020)

■株式会社幻戯書房

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日記

ミシェル・ビュトールの小説論を読みながらいろいろと考えた。

三島由紀夫と小林秀雄との対談において、彼らは「美」とは形式なしには存在しないということを語り合っていた。

ビュトールは「小説の内部でなされる哲学と詩の融合は、その灼熱の段階で数学を巻き込むのだ」と語る。

非常に抽象的である。

小説論。なんというややこしさ。

・・・

音楽における美にも数学的な美しさは存在している。

素数と音楽の親和性についても一応のところ理解はしているつもりである。

音楽があるところに数学はあり、数学があるところにも音楽はある。

美術にも、脳科学的に説明がつく部分もあるのだという。

・・・

しかし、自分は内心では数学を軽蔑している。

ある種のコンプレックスでもあるが、小説を数学で説明できるとすればそれは小説の敗北でしかない。

池田晶子は言っている。

「存在の真実、それは存在の内容と形式が矛盾することである」(『考える日々』)

数学という形式で内容を説明できる道理があるのだろうか。

先人の文学論など破壊してしまえばいい。

形式は小説を書く際の障害物でしかない。

自分はそう思ってしまう。

公開日2023/2/3

平成生まれです。障がい者福祉関係で仕事をしながら読書を毎日しています。コメントやお問い合わせなど、お気軽にどうぞ。

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