■有限会社論創社
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その他数冊(『日本の悪霊』など)
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日記
前者は「ルソーの勉強法」という項目が面白い内容であった。(180項)
難しい本の読解には精神の集中を要する。
しかしこれが思った以上につかれる。ルソーは同じ本を読み続けることを避け、違う本を読むことで時間の浪費を避ける方法を取った。
“精神の集中を要する本を数項もつづけて読むと、気が散ってぼんやりしてしまう。それ以上がんばっても骨折り損で、目まいがしてきて、なにも見えなくなる。だが、異なった主題ならたてつづけにやってきても、目先がかわるから、中休みしなくても楽につづけることができるのだ。” P181
著者も共感を示し、同時に数冊を平行して読む方法を採用している。私もそうしている。
でなければ定期的に数冊を読破することは不可能である。
これは空間を変えると集中力がリセットされることに似ている。
私はこの法則を精神科医の樺沢紫苑氏の本から学んだ。
また、著者はこんにちの出版物に対する問題を提起する。
著者によれば、本来は必要に迫られて書くのが本なのだという。
ケインズやトマス・ペインのようなものがそれに相当すると考えられる。
しかし、こんにちでは出版産業を「維持するため」に本がつくられている。それが本末転倒なのだという。
私も同感である。
新刊から生まれる良書はどんどん少なくなっているように思う。
・・・
『日本の悪霊』は350ページまで読み進んだ。
いよいよ終盤という流れになってきたように感じる。
ざっくり言えば連合赤軍に関する内容であり、当時の若者が抱く社会への不信感、現実への絶望感というものがひしひしと伝わってくる。
そのひとつを紹介したい。
この物語における中心的な人物、村瀬という被告人の心情を表す一節である。
”つまらぬ犯罪を犯してみずから捕らわれようとした心理の中には、たとえ自己を正当化はしえないとしても、政治が存在し、すべての人間関係を権力関係に転化する構造がある限り、抹殺しつくすことの出来ぬ悪の論理というものがあるということを、何ものかに思い知らせたかったからだ。” P215-216
この文章を読んだときにミシェル・フーコーの権力論を想起させられた。
力関係というものは部活動でさえも存在する。
ドラえもんの物語のなかでさえも存在している。
従って、権力というものは関係が存在する限り分離され得ない。
それが「リゾーム」のように様々な方向へと伸びていく。そういう読みだったと記憶している。
権力というものに対して明らかに感度の高かった1960年代と現在ではいったい何が根本的に変わったのだろうか。
そのように思うところもあるが、そこまで興味を持てないのが個人的な心情である。
むしろ関心は、そのような時代のなかで高橋和巳という人間が何を考え、何を書き残そうとしたのか、その精神にある。
公開日2023/2/18