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読書日記941

             執行草舟『脱人間論』講談社(2020)

■株式会社講談社

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日記

『悲の器』は250ページ弱読み進めた。

内容があまりにも高度で『日本の悪霊』よりもページが進まない。

・・

執行草舟氏の動画では、「善悪のバランスが取れていると良い結果が出る」と言っていた。

この着想が西部邁『保守の真髄』に書かれていた均衡の理論と重なって見えた。

高橋和巳は「絶対に罪でない行為などないから人は悩むのだ」と小説のなかである人物に言わせていた。

高橋文学の問題提起として「人は、自由にいかにして到達し得るのか」という命題があるのではないかと思うところもある。

プラトン主義(=池田晶子信者)の私からすればそれは理性で考えることによってのみ到達し得るのだろうが、ではいかにして考えることによって自由を得ることが出きるのか。

今日は高橋文学を読みながらなんとなく頭に浮かび上がったのが、「何かしらの均衡状態を人は自由と呼ぶ」のではないか、という仮説である。

例えば西部邁であれば、「保守とは絶えず均衡状態を維持しようとする姿勢である」と述べているように、高橋文学で頻繁に語られる「法」に関しても、人をがんじがらめにするのではなく、いかに正義と真実を中和させていくかが問われているのだろうという気もするのであった。

(正義と真実はあいいれない拝中律である、ということを『日本の悪霊』のなかで高橋和巳は書いている。)

ひとまずちびちび読み進めていきたい。

ショーペンハウアーの本はもう少し先へ進んでから感想を書いていきたい。

公開日2023/2/21

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