画像引用元:紀伊國屋書店
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メモ
池田晶子「神話は理性の母である」
“正義とは、時代的社会的条件によって規定される外部的観念の一様だというのが今日的な社会通念である。正義は自身の内にあるかと言おうものなら、たちまち独善との謗りを受ける。数十年前なら、社会主義の正義と必然を連呼していたであろううその口からだ。それは見事なくらいの無思慮だが、ソクラテスの時代とて同じである。「正義」すなわち「正しい」ということが自分の幸福、すなわち「善い」ということに直結するのでなければ、そんな観念に従うことに何の意味があるか。” P34
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日記
今月から事務仕事を始めた。
以前ほど読書に時間を割けなくなったが、それでも言い訳をせずに読書をする。カント関連の図書は深い精神集中を必要とするので休日に読むことにした。
今日は池田晶子の本などを読んだ。
・・・
池田晶子に出会って学習したことは「○○入門」を読んでも時間の無駄であるということである。
「何がわかればわかったことになるか」
池田晶子は「わかりやすい哲学」を書いてほしいと頼む出版社に対して「なぜ哲学がわかりやすい必要があるのか」と述べる。
無論、それは商業主義的な前提で、「売るため」に他ならない。
本書によれば、デカルトは自分の存在を疑えないことに気づくまで9年かかったそうである。
つまり、最後まで疑いぬくことができる者だけが「信じる」ことが可能となる。
裏を返せば、最後まで疑わない人は「信じる」ことができない。
そのように池田晶子は語る。
では一般的な意味での「信じる」とはなにか。
これと似たことを彼女の別の本で読んだ。
「知ったつもり」になることである。
そしてソクラテスへと迂回する。以上。
公開日2023/3/7