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読書日記957

オトフリート・ヘッフェ『自由の哲学: カントの実践理性批判』法政大学出版局(2020)

■一般財団法人 法政大学出版局

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メモ

“カント「自分で考えることは、真理の最上の試金石を自分自身のなか(中略)に求めることである。つねに自分で考えるという格率が啓蒙である」” P16(『自由の哲学』)

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日記

池田晶子著『無敵のソクラテス』のなかで未だに覚えている話がある。

経済と倫理に関する話であった。

結論からいえば、法律という「外」の規範と倫理という「内」の規範があるなかで、前者は規範を破れば「罰せられる」が、内なる倫理の規範は「罰せられない」という指摘があった。

『新・考えるヒント』において、この話と似ていることが書かれていた。

池田晶子は「国家公務員倫理法」が制定されるという話について、倫理が法律に規定され、行動の規範が人間の「外」に置かれてしまうことによって起こる問題を指摘した。

池田晶子は、行動の規範は「外」にあるとしておくほうがリスクを負わなくて済む、という打算が隠れていることを見た。

かくして行動の規範は外へ、外へと向かい、いよいよ内的な倫理は軽視されるという、そんな話であった。

ここでカントの名言が際立って見えた。

啓蒙とは知識の増大でもなければ迷信との戦いではないとカントは考えていた。

カントのスタンスはソクラテスと重なって見える。

『純粋理性批判』では、人は何を知ることができるのかが中心に考察されるが、「何をなすべきか」という問いも付随して考察の対象となっている。

「善く生きるには何をすべきか」

この命題を自分なりに追究したい。

公開日2023/3/9

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