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つづきをよみすすめた。(新・読書日記98に収録)
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メモ
美学者について語るゲーテ
“「私は、美学者どもがおかしくて仕様がないよ」とゲーテはいった、「連中はわれわれが美しいという表現で呼んでいる曰く言い難いものを、いくつかの抽象的言語で一つの概念に統一しようと頭を悩ましているのだからね。美は、根源現象なのだ。だからなるほど、それ自体は現れることはないにしても、その反映は、無数のさまざまな創造的な精神のあらわれの中に見られるわけだよ。自然そのものと同じくらい多種多様なのさ。」” P158-159
文学作品について語るゲーテ
“つまり、文学作品は測り難ければ図り難いほど、知性で理解できなければ理解できないほど、それだけすぐれた作品になるということだ。」” P187
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日記
大学院(臨床心理学)の入試の面接を思い出した。
「心理学は今後、より実証的な研究になっていくと思われますが、その点についてあなたの意見をきかせて下さい」という質問があった。
臨床心理学を含め、認知心理学や社会心理学など、あらゆる心理系の分野は過去と決別しようとしている。
夢分析のような、数値化不可能の似非科学から脱出して、より実用的な分野になろうというのだ。
それは分からなくもない。実際にCBTを経験して分かったのは、心理学の実用的な応用はある程度社会的に利益がある。そこは否定しない。
しかし自分はどこか物足りなさを痛感していた。
治療は、悪いものを取り除くことを至上命令とするので、そこには勿論代償というものもある。
例えば夢をあきらめきれず自分を追い込み、苦しい生活をしているうちに鬱になったとする。
治療法は、本人の認知的なバイアスを取り除いたり、生活の改善を促す。前向きになることは、ある意味夢を肯定的にあきらめることにもつながる。
その選択、つまり夢を書き換えて別の目標を立てるかどうかはあくまで個人の意志次第ではある。
何事も、応援というものは限界があり、選択は本人にゆだねられる。本人の判断能力までは治療できない。
そこから派生していく副次的な諸々を括弧に入れ、ひとまず治療に専念しなければならない。
治ったあとでまた考えればいい。その流れは否定しない、しかし、何かが足りない。
悪いのは本当に本人なのか。それとも社会構造にあるのか。自分はそういう点を考えながらCBTを受けていた。そういうことを『生命の理念Ⅱ』読んでいて思い出した。
・・・
菌食の研究が進まないのは「還元」を科学が扱うことは社会的に難があるから、ということが語られた。
定量的な研究(=実証研究)は、執行草舟氏によれば、すべて「酸化」を扱うものらしい。
そして研究者には実績が常に求められる。還元に関する研究は実証的に示せないので忌避されるということである。
結果的に、社会は構造的に実証研究へと追い込まれ、心理学も生物学も生理学も、そういう方向に進んでいくそうなのである。
ああ、これはもう人類の限界なのかもしれない。
そういうことを思いながら、今日も深い話をいろいろと頭にインプットするのであった。
つづく