■株式会社幻戯書房
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その他数冊
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日記
少し前の日記に、自分は「凡人は欲望にしたがって、天才は好奇心から派生した信念で生きる」といった主旨のことを書いた。
また、執行草舟氏が強く働きかけ書物復刊に至ったマイケル・ヤング『メリトクラシー』と関連づけて再度競争の原理とその意義について考えさせられた。
宮台真司氏によれば、「自由放任主義」に依拠するフリードリヒ・ハイエクのいう「スポンテニアス・オーダー(自主的秩序)は、「我々はなにを計画しようが、想定しなかった行為が自主的に育つ」だという。
これが競争の原理の大きな利であるとともに、単に欲望だけでは説明しきれない経済全体の複雑性のように思われた。
レオパルディは次のように言う。
“若者は、激しい欲望を抱いている限り、生きる術を手に入れることができない。いうならば、社会において成功することは叶わず、社交に楽しみを見出すこともできない。反対に欲望が冷めれば、冷めた分だけ他人と自分をうまく扱えるようになる。自然は、いつもながらに優しく、人間を次のように設計しているのである。すなわち、人は生きる意味を失うにつれて、生きる術が身に着いてくるようになっている。また、自分の目標は、それに達することが何にも代えがたい喜びとみなされているうちは達することはできず、達成しても普通以上の楽しみを得ることはできないという状態になって初めて、得ることができるようになっているのだ。”(『断想集』P129 )
活動の源泉が欲望だけに依拠することによって、人は往々にして打算的になる。
目先の利益にとらわれ行動の原理が損得勘定一択となる。宮台用語でいう「損得マシーン」の誕生である。
しかし逆説的にそれがうまくいかないことがこのレオパルディの断想によく表れているように思われた。
「役に立つ本」というものは往々にして人間を「損得マシーン」化に向かわせる性質を持っているので結果的にたいして役に立たず、少し時間が経てばメルカリで、半額以下で取引される。
とはいえ自己啓発本のなかにもごくわずかに良書は存在していることを否定しはしない。
・・・
『反「大学革命」論』を読み進めた。
ジャック・デリダの哲学的大学論はかなり難しい。
アンリ・ベルクソンの生命哲学とリンクさせて考察がなされたが、これはかなり専門性が高く、今日は理解することを諦めた。
結論としては、筆者は「役に立つということがどういうことかを問わなければならない」という主張に落ち着く。
デリダが追求しきらなかった「高性能性/行為遂行」の二分法を脱構築的に筆者が考察を進めていくという内容であった。
例えば、動画配信サービスがCDやDVDのレンタル・小売り業界を淘汰したように、環境が変わるとそれまでのの専門性、高性能性(VHSの時代にとってDVDは高性能であったように)が剥奪される。
ある専門性は特定の環境に落ち着くことでしかその能力が保証されない。
この話をベルクソンの進化論にまで昇華させて筆者は考察を展開するわけであるが、非常に難しいものであった。
公開日2023/4/15