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日記
斎藤環氏の新書のづつきを読み進めた。
「就活自殺問題」について、斎藤環氏は「食べるために働く社会」から「承認を得るために働く社会」へと移行したことに原因をみる。
日本人は世間体を気にするという一般論がある一方、例えばアメリカではキリストの目を気にすると書いてある本もあった。宮台氏の本だったと記憶している。
ドーナツのようなもので、核は空洞になっているが、「和」は円環構造となっていて、抽象的にはお互いがお互いによって支えられている。そしてその支える力が「承認」ということである。
3/4読み終えたが、ざっくりと言えばそのような内容であった。
就活生がこの記事に偶然出会ったと想定して、自分は以下、少し感想を書く。
まず、マズローの欲求5段階説についてであるが、あまり真に受けず、ただの仮説であることに留意するべきである。
斎藤環氏は「社会の心理学化」という言葉を持ち出す。
これは人間を心理学と精神医学によって説明する社会の態度を指す。
いうまでもなく、心理学と精神医学だけで説明できるほど人間は単純なはずがない。
従って、承認欲求という言葉についてもある程度批判的にみなければならない。
自分としては、就活自殺問題の根底には「ただのわがまま」という、いたってシンプルな心理が底の底に隠れていると考えている。
この説明を補足するわけではないが、多少内容は被るので『美学イデオロギー』の感想に入る。
・・・
ヒュームは記憶と想像力を区別した。
「観念」というものは想像で成り立つ限りにおいて「虚構」であるという考え方であった。
記憶は感覚によって身体が覚える限りにおいては、「経験」というもので成り立つのでそれは「現実」である。
しかし記憶と想像力は境界線が曖昧であり、ここは経験論の哲学的考察の対象となっている。
人は「所有欲」という言葉を用いて「欲」というものを理解する仕方で「欲」の何を分かったことになるのだろうか。例えば「必要」と「欲望」をこの理解の仕方で明確に理解できるとは到底思えない。購買欲は必要性から生まれるのか、それとも欲望から来るものなのか。
「見栄」からくる必要性なのか、欲望ゆえの「見栄」なのか。それは誰かの「模倣」なのか、自発的なものなのか。そこに「意図」はあるか。「目的」はあるか。
掘り下げれば掘り下げるほどに「所有欲」という概念すら全く分からなくなる。
いうまでもなく「承認欲求」という言葉でなにを理解したことになるのか。そこを考えるべきなのである。
『美学イデオロギー』の射程範囲は非常に広範囲であり、多くのヒントを与えてくれるように感じた。
正義は道徳であり、道徳は分配であり、分配は平等であり、平等は正義でもあるという、今日は「正義」の世俗性について理解できた。
また、商業社会と美学の接合点についても表面的なことは理解できた。
アダム・スミスは、生産活動は個人の利益だけの追求で発展すると考えた。そして見えざる手によって需要と供給は調整されるとした。しかしそれは人々に「道徳」があることが前提であるとされる。
本書のテーマのひとつは「徳と商業活動」である。
例えば、文学作品は人々に崇高(強い快を伴う大きな感動)を経験させ、活力の源泉が力の乏しい「欲望」から持続性のある「信念」へ切り換える力、すなわち徳を与える。
徳は商業社会を維持させるため、社会に均衡をもたらす。
しかし「徳とはなにか」という問いが残ったままである。
かくして「美」と「崇高」を取り扱う「美学」と「徳」について語られる。
美の普遍性と徳の普遍性はどのようにして、いかにしてかかわるのか。
非常に深いテーマである。
公開日2023/4/19