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日記
島田氏のこの本は、小説を書くためのただのハウツー本となっておらず、文学史、哲学史を横断しながら言葉の本質に迫る優れた本であるように感じる。端的に知らなかったことも多く書かれており、本書は読んでいて面白いものであった。
多少口の悪さが目立つが、それは歴史的に文学が人類にもたらした貢献の数々と、その価値を次の世代へと継承したいという気持ちの表れでもあると感じた。
“私が四十年かけて会得した創作技法を手取り足取り伝授する義理もないのだが、コトバを生業とする者たちが積み上げて来た文学的叡知がどれだけ人類に貢献して来たかを再認識する機会にもなると信じ、惜しみなく公開することにした。同時に本書が、文学を全く理解しようとしない反知性主義者どもを捻り潰すのにも役に立てられることを願ってやまない” (『小説作法XYZ』P6 )
90ページ弱読み進めたが、ざっくりと言えば「物事の多面性を理解せよ」に尽きるように感じた。
本書の参考文献一覧を見れば一目瞭然、そうそうたる名著がずらっと並んでいる。コトバを突き詰めて考えることはイコール物事を突き詰めて考えることだと再認識した。
池田晶子はいうまでもなく言葉の謎を限界まで考えた人物であった。
物事の本質を細部にわたって見渡せなければ社会の欺瞞に気がつくことはできない、そのようなメッセージを受け取った気がするのであった。
・・・
池田晶子は『考える日々 全編』において、抽象的な言葉に対する批判を行う。
“前回で私は、「人間」などという不明瞭な言葉は信用しないということを述べた。なぜ人は、自分を人間と思ったり、日本人と思ったりしているのか、しかしいわゆる「社会思想」というのは、この思い込みの上にこそ成立しているのである。そして、この思い込みが思い込みであることを指摘するのが、社会思想ではない「哲学」の仕事なのである。” (『考える日々 全編』P434 )
想像力から観念へ、観念から虚構へ、虚構から「思い込み」へ、「思い込み」から「無知」へ、といったところだろうか。
ヒュームは感覚知を伴わない「想像力」を「虚構」だとしたが、これは真実に近いと思われた。
プラトン全集の『クラテュロス』は言葉が社会的な取り決めなのかどうかで議論が交わされる。おそらく取り決めも存在する。だがしかしそれは全て「虚構」のはずである。
かくして人はないものを「在る」もの、存在するものだと勘違いすることで「思い込み」へと帰結していく。
「思い込み」はいうまでもなく「無知」の温床である。
だからこそ、哲学者は言葉というものを慎重に吟味しなければならない。
池田晶子が「ニューアカデミズム」に批判を浴びせたのは「虚構」によって、つまり想像力によって世界を説明しようとした姿勢、態度にあると思われた。( ドゥルーズ+ガタリ「欲望機械」やデリダ「差延」など )
いうまでもなく、造語自体に問題があるのではなく、それで何を「分かった」のか、分けることができるのか、その問いかけが重要なのである。
公開日2023/4/20