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つづきをよみすすめた。
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日記
久しぶりの三連休ということで、朝から張り切って読んでいこうと思っていたが、金曜までの疲労のせいか、睡眠不足のせいか、朝はどことなく乗り気になれなかった。
しかし、三連休用の本をいくつかまとめて購入していたので、何もせずにはいられなかった。
半ば、強制的にカフェに足を運ぶことによって、なんとかペースを取り戻そうと思い、午前からちびちびと読んでいった。
途中で眠気が強くなることもあったが、仮眠と書店めぐりの反復によって徐々にペースは回復した。
夕方には朝の疲労はどこにいったのかと思うほど気力は回復していた。
また、久しぶりに行った某駅の近くのBOOK・OFFでは文庫本が20%オフということで、得した気分になった。
・・・
『トオマス・マン短篇集』
「道化者」を読んだ。なんとなく惹かれるタイトルであった。
サマセット・モームはどれも面白く外れがないが、トーマス・マンは深いものが多く、手探りということで、やや不安であったが、読んで数分たったあとこれは面白いと、感じるものがあった。
いや、いままでいろいろな短編を読んできたが、今回は本当に面白いものであった。面白いというよりも、感動という表現のほうが合っているかもしれない。
主人公が「哲学的孤立」に苛まれる日々を送る物語なのであるが、なんだか自分のことを言われているようで珍しく感情移入し、没頭していっきに最後まで読めたのである。
主人公は多読家で芸術に関心があり、低俗なものが嫌いな傾向を持っている。
しかしながら主人公は定職についておらず(ハッキリとは覚えていないが、親に、いつまでもオレがいると思うなよと言われるシーンがあった)、ぷらぷらしているところがあった。
話の舞台はドイツかイギリスかも覚えていないが、世の中は階級社会である。主人公は貴族のように高尚な文学作品に関する話には強いのであるが、階級が下の方なので話相手がいない。かといって、プロレタリアートが好むような下世話な話は嫌いで、ギャンブルやお酒に入り浸ったりもしない。自分を「哲学的孤立」人間だと実感していた。
「どうしてこうなったのか」
中途半端に自信を持っていると反って身を亡ぼすとは誰かの格言であったが、主人公も憂鬱な日々をなんとかしたいと、模索するもどことなく虚無感を感じさせる。
“およそ不幸というものは、たった一つしかないーーーーーー自分に対する好感を失うことである。自分が自分に気に入らなくなる、それが不幸というものなのである。” P68
名もなき芸術家を代弁しているのか、それともトーマス・マンの若き頃の代弁なのか、そのところはよく分からないが、自分とに似たような傾向を持った人間は本のなかにいるというのはよく感じる。しかし現実世界にはなかなかいない。
この落差にやるせなさを感じる。この主人公は自分にとってよき友だ。
・・・
『チャールズ・テイラーの思想』
コミュニタリアニズムはリベラルと対立するということはよくわかった。
とはいいつつも、リベラルを全否定するのではなく、あくまで部分的な批判であって、リベラルにも良いところはあると考えているテイラーの思考を追った。
リベラルの伝統的な特徴として「善に対する正の優先」が挙げられるのだという。
わかるような、わからないような、抽象的な議論がつづく。
“正と善はそれほど容易に分けられないものであり、「正」についてのリベラリズムの概念には、それ自体の中に、善い生き方についての価値観や考え方、および個人性についての概念が組み込まれている” P193
スカーフの禁止で問題になった例が挙げられた。スカーフはダメだがキリストの十字架はOKだという。
本書ではスカーフの例しか挙げられていないが、中立性をめぐっては、リベラリズムはすべての文化と見解を中立に調停できるものではないのだという。
正と善の区別はひとつの歴史的見解に内在しているため、リベラリズムのなかで「正」とは自己理解的である。
なるほどと思った。
正しいことは必ずしも善ではないという、相対的な理念と絶対的な理念の差について考えさせられた。
自然、次に問題になってくるのは「正しさ」になる。なにをもって正しいとみなせるのか。
話はアリストテレスの知識学に移行していく。
“したがって私たちは[政治学が研究するような]主題について語る際に、真実を大雑把で概略的に指し示すという前提に満足しなければならないし、大部分において正しい事柄について語る際には、より良いわけでもない結論に辿りつくという同様の前提に満足しなければならない。” P206
アリストテレスは人間に対する理解は不完全だという前提に立って政治を扱うことを主張したとのことである。
今日はこのあたりでいったんストップし、菌と生命についても読みたくなったのでパストゥールに関する本を読むことにした。
つづく