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つづきをよみすすめた。
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日記
第四章「クィア理論」の終わりまで、139項まで読み終えた。
ここまで読むことによって著者が「クィア理論」や「ポストコロニアル理論」に対してどういう感情を抱いているのか理解できた。
これらの理論を俯瞰的に見ているようにみえるなかで「暴言」の類いも時々見受けられた。
これはいうまでもなくこれらの理論が「有害」なものであると著者が見なしているからである。
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本書ではポストコロニアル理論の批判材料として、ケヒンデ・アンドリューズという、社会科学部教授の黒人研究家の発言が引用された。
“「知識は価値判断と無関係に生み出されるという考えは永遠に捨てるべきだ。我々の政治が世界の理解を形作り、中立性を装うことが、皮肉にも我々の価値を損なっている。」” P96
これに対して著者は、
“知識は常に文化的価値と固く結びついているから、客観的知識ーーアイデンティティとは無関係に誰にとっても事実である知識ーーは実現不能だと考える。これがポストモダンの知の原理だ。” P96
と述べた。
そのうち読み進めていくと、ポストコロニアル理論は「合理性」という概念ですら「それは西洋的である」と考えると書かれていた。
どれほどいるかは分からなかったが、なかには数字というものですら西洋的なものだとみなす研究者もいるということが書かれていた。
そしてそれが彼らにとっての正義であり、研究の在り方であるということであった。
“結局のところ「研究正義」とは、学術成果を厳密性や質にではなく、それを生み出した人のアイデンティティによって評価し、ポストコロニアル理論では周縁化されていると思われている人々に特権を与えることだ(ただし彼らがポストコロニアル理論の知識生産手法と結論を支持している場合に限る)。ポストモダニストにとってなら、これは納得できる動きだ。彼らは厳密性や質に客観的な基準などまったくあり得ず、存在するのは特権者と周縁化された者だけだと考えているのだから。” P103
科学の否定はそのまま技術の否定にまで繋がっていく。たしかにここまでを見ていく限り、ある側面では迷走していることは間違いないように思われた。
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著者はところどころでこれらの理論が「机上の空論」ではないことを指摘する。
つまりこれらが社会に与えるインパクトは実際にあるということであった。
問題は、科学的な裏付け、実証性を避けるこれらの「反証不可能」なものとどう向き合うかである。
四章ではジュディス・バトラーの戦略が紹介された。
哲学的にはオースティンの「言語行為論」を応用したものである。
“バトラーの考えは、人は自分が男性、女性、ストレート、ゲイであると知って生まれてくるのではないから、そういった生得の要素に従って行動するわけでもないというものだ。むしろ人は生まれた後で、身のまわりに遍在するそうした役割とそれに付随する社会的期待や指示(規範性)によって、これらの役割へと社会化されるのだ。異性愛や同性愛といった役割は、それ事態としては不変の固定した分類ではなく、ただ人々の行動でしかない。彼女によると、これらの役割を引き受け、それらの社会的期待に従ってそれを「遂行」すること(行為遂行性)で初めて、人は役割そのものが現実で不変の、そして本質的に意味あるものだという(抑圧的)幻想を作り出すのだ。だから、言説的構築という概念ーーその社会が物事について話すやり方が、それらを正当化し、自明な真実に思わせてしまうという考えーーが、クィア<理論>理解の要だ。なぜならこれらの役割と期待は、言説的構築を通じて作り上げられ永続化されるからだ。” P128
デリダは言葉の意味が定まらないように、「意図的に難しい散文で回避」した、と本書に書かれていたが、バトラーも同様に意図的に性というカテゴリーに収まらないような言説を構築し、行為遂行によって作り出される「幻想」を回避、あるいは破壊しようと試みたというものであった。
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さて、ここまで鑑みて言語に対して「病的に固執」していると思うかどうか。
著者はデリダを「神経症じみた」揶揄していたわけであるが、自分はとくに何も思わなかった。
哲学者はそもそも性質からして言語の限界、人間の限界に謎を問いかける存在である。
なぜ彼ら「応用ポストモダニスト」がここまで言語に固執しているか。
その理由を著者は理解できているのだろうか。そこが気になるところであった。
池田晶子は「狂気の宿らぬ学問などクズに等しい」と書いている。
しかし先程触れたように、彼らの社会的影響力が好ましくない方向に向かっているのであれば、たしかに看過できず、彼らの動向には注視すべきであろう。
公開日2023/4/28