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読書日記1014

         森達也『歯車にならないためのレッスン』青土社 (2023)

■株式会社青土社

公式HP:http://www.seidosha.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/seidosha?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

その他数冊

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日記

昨日『パンとサーカス』を読んで感じたことの二つ目を思い出した。

「面従腹背」という言葉について思うところがあった。

この言葉は、表面的には組織に忠実でありながら、内心では反逆的な態度であることを意味するようである。

昨日紀伊国屋書店でまさにこの言葉が本のタイトルとなっているものを見かけた。

これは加計学園に関するもので、「内部告発」に関する内容であるためにこのようなタイトルになっていると思われた。

・・・

働いているときに上司が平然と不正をしていることに目を瞑るかどうか。

意見が分かれるところであるが、カントは「公/私」において、組織に従事している以上は自由はないと考えよ、と記述していることを『自由の哲学』のなかで読んだ覚えがある。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/07/07/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98957/

  

そしてカントは、組織に文句があるのであれば、それは「私」において批判せよ、と述べていたと記憶している。

しかし日本では、公務員にも守秘義務があるということで、おそらくこの「不正」行為を批判することはそのまま秘密を漏らすことになるので「違法」となると思われる。

違法となるのなら、もはや内部告発しかない、裁判をするしかない。

しかし個人的には、本当にすべきは内部告発ではなく、権力による不正行為が守秘義務の名のもとに隠蔽されてしまう法体系をなんとかすることだと思われた。

・・・

森達也氏の本はそのような日本の現状を批判的に見ていく内容となっていた。

話はややそれるが、本書のなかでノルウェーの最高刑が禁固21年という現実について語られていた。

刑務所の制度検討を担当している官僚のパイクという人が犯罪の原因を「幼年期の愛情不足」「生育期の教育不足」「現在の金銭の不足」の3つだと語った。

「これ以上苦しみを与えても意味がない」

たしかに、これまで犯罪に関するノンフィクションの本をいくつか読んできたが、ほぼ確実に家庭に問題があるケースであったと記憶している。

若い人が逮捕されるとその経歴をくまなく捜査、公開するマスコミにうんざりする人もいることは分かる。

しかしながら、現実として、統計としてその事実を無視することはナンセンスではないか。

いろいろと考えさせられた。

社会で発生する負の循環 (不寛容⇒厳罰化⇒テロリズム) をノルウェーの人々は「法」ではなく「愛情」で解決しようとしている。実際に、緩い刑務所でさえも、再犯率の低さは「とても低い」と書かれていた。

勿論、社会保障や税など複数の背景を加味すれば結論付けるのは早計だとは思っている。

・・・

『人間を信じる』はそのような不寛容社会の本質を探るうえでヒントを与えてくれる。

吉野源三郎は語る。

最後まで神を信じることはできなかったがドストエフスキーの主張には共感したと語る。

“人間不信がニヒリズムに通じると考える点では、私もドストエフスキーとまったく同じでした。すべて善いもの、美しいもの、価値のあるものが、この世に実現され、この世に存在するのは、人間を通じてのことであって、その人間の存在が全体として、また、根底において無意なら、いっさいの価値、いっさいの意義もまぼろしになってゆくでしょう。” (『人間を信じる』P28)

人間不信と不寛容が無関係ではあり得ない。

直感として、人間不信と自尊心の無さは比例するように思われた。

船橋駅にサリンをばらまくと書いて逮捕された人物がいたが、FNNプライムオンラインのコメント欄にはノルウェー的な寛容さがほとんど見られない。

このあたりは重要なポイントであるように思われた。

公開日2023/5/3

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