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島田雅彦『君が異端だった頃』集英社 (2019) 読了

         島田雅彦『君が異端だった頃』集英社 (2019)

■株式会社集英社

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つづきをよみおえた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/07/14/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%981023/

   

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感想

島田雅彦『小説作法XYZ:作家になるための秘伝』新潮選書 (2022) の16項には作家の動機について以下のように書かれている。

“私を含め、物書きは自分が世界で最も不幸と思いたがる。この不愉快な境遇を逆転したい、という欲望が作品を書く際の強烈な動機となる。” 

本書を読み終えたときに、正直なところ島田氏のこの発言には疑問が湧くばかりであった。帰りに散歩しながら別の意味での不愉快さを噛み締めながら思うところが多々あった。

いや、多少は理解できるところもあった。

青土社の社長から評価され、雑誌「海燕」に連載されることになりいっきにエンジンを小説を量産しながらも、結局いつまでも芥川賞受賞にまでは至らなかった点や、文壇たちからの(とくに大江健三郎)島田氏の作品に対する容赦ない批判を食らった点は共感できた。

しかし、あまりにも経歴が華麗なうえ、プライベートの充実ぶりには(埴谷雄高、中上健次、その他大勢のそうそうたる人物との交流など)どこが「不幸」なのかさっぱり理解できなかった。

『パンとサーカス』で匂わせたアメリカへの嫌悪に疑問が残った。

本書ではアメリカの豪遊生活といまでは言えないが、バブル期の、かなりの贅沢ぶりが伺えた。

294項から始まる「青春の終焉」の章では文壇にデビューしたあとひたすら突っ走ってきたために、じっくりと内省が機会がなかったということを書いていた。

裏を返せば、困難はあったにせよあまりにも充実していたために時があっという間に過ぎ去ってしまったということなのではないかと思えて仕方がなかった。

ここでこの自伝は幕を閉じるわけであるが、その内省を経た後に何を感じ、何を価値としたのか、ついに分からないままに終わってしまったが、『パンとサーカス』にその大部分が詰まっているとするならば、池田晶子が島田氏について書いていたのと同じように、やはり言葉が「交換価値」であるという考えは覆らなかったということなのだろうか。

本書のなかで芥川賞が恣意的に選ばれることが十分に伝わり(気分が悪ければ対象の作品を読むことをやめる人間もいる)いろいろと考えさせられた。

しかし、文壇の裏側や作家のプライベートに関する話は面白く、とくに中上健次の本には興味が湧いた点など、いろいろと収穫のある意義ある読書体験であった。

公開日2023/5/11

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