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つづきをよみすすめた。
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日記
何が問題なのかが掴みにくい本書の読解に苦戦しながらもなんとか215項まで読み進めた。
今日は図書館と貸本屋との位置関係についある程度読み取ることができた。
市町村に図書館のない時代は貸本屋がその役割を担っていた。
現在では貸本屋は淘汰され公立図書館に置き換わっている。
215項までは主にこの拮抗について考察されていった。
・・・
図書館法の「実質において乏しい」とは、「資金不足」がその主たる原因であったことは今まで何回も述べられた。
資金がないので物理的にも市町村に図書館を設置していくことは不可能であった。
しかし「社会教育法の改正」に伴う「補助金」がきかっけで図書館の勢いに火がついたとされる。
“社会教育法の改正に伴う国からの補助という「降ってわいたよう」な幸運が舞い込み、一九六○年から三ヶ年計画で『中小都市における公共図書館の運営』(中小レポート)の作成が開始されることになったのである。” P179
今では想像することが難しいが、1960年頃の日本においては、本の貸し出しは圧倒的に貸本屋が優位に立っていたとされる。
読む限り自体はそう単純ではないが、いや、むしろ複雑極まりないが「悪書追放(大人向けの雑誌など)」の追い風と「図書館は公共貸本屋ではあってはならない」というスタンスがマッチすることで図書館が次第に現在のあり方に近づいていったのだと思われた。
先のページをめくってみると文庫本の貸し出しをめぐって出版社と争っていた歴史などが書かれているが、現在の図書館において、漫画や雑誌は明らかに量的には少ない。これが意味するものとは。
元前橋市立図書館長、渋谷国忠は図書館のあり方について「公共貸本屋ではあってはならない」と述べた。そして筆者も渋谷氏の考えに肯定的な意見を述べる。
(渋谷氏の発言)
“大部分の図書資料提供が商業主義によって営まれている社会において商業主義では運営できない部面における奉仕、それでは満足されない要求に対する奉仕こういう奉仕の中に、図書館の基本的な社会的機能が存在すると考えてよい。” P186
これに対する筆者の考え
“この指摘は、まさに「本筋と本質」を捉えている。” P186
215項まででは貸本屋が廃れていった本当の原因までたどることはできなかったが、「公益」の意味について再度考えさせられた。
商業主義では「採算がとれない」という理由で提案が却下されることなど無数にある。
しかし採算が取れれば「GOサイン」になる場合、そしてそれが誰にとっても有益であり得る場合、国のバックアップで「公益」となる。
抽象的な話であるが、図書館という存在について考えることで様々な領域、業界の本質を見極めるヒントを与えてくれるように感じた。
公開日2023/5/4