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その他数冊
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つづきをよみすすめた。
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日記
110項まで読み進めた。
本書を読むことで、今まで考えられなかったことまで考えることが可能になってきたように感じる。
モリス・バーマン『デカルトからベイトソンヘ』において、現代は科学によって信仰心が削ぎ落とされてしまった旨が書かれている。
宗教の種類だけ行動様式があるので、行動様式の総数は宗教の数に比例する。
普通に考えれば、信仰心が無くなればそれは行動様式の減少を意味する。
究極的には、世界が全体的に似たような行動様式になればお互いが理解し合える確率が高まるのではないだろうか。
宗教の対立はお互いの正義、教義のぶつかり合いであるはずだ。
科学文明が進み、宗教の力が衰えればいずれ宗教対立は無くなるのだろうか。
・・・
キリスト教と仏教を比較すると明らかに双方の世界観が違うことが理解できた。
小室直樹によれば、仏教の考えかたには因果律、キリスト教には予定説(≒決定論)があるとされた。
「救済」の話で説明がつく。
キリスト教は終末が「すぐに来る」のでキリスト教の教えを信じることで「救済」されるという一般的な考え方がある。小室直樹によれば、仏教には終末論という概念がなく、「自分で救われる原因をつくれ」という発想を生む余地を与えることができる。
小室直樹によれば、仏教は「罪があれば生まれ変わる」と考えるらしい。
ここを読み、「修行」という発想は東洋的なものだと感じた。
因果律も哲学的に突き詰めれば決定論と大差ないように見えるが、キリストの発想では自由意志が無いことになる。
ヒュームが自由意志の存在を認めず、慣習に着目して政治学を構築したのは恐らくこのような西洋的な考えが根底にあるからなのだろうか。
小室直樹によれば、キリスト教とユダヤ教を研究してつくられたイスラム教には終末論についてはとくに書かれていないとされる。
人間の行動原理が宗教に依存しているとまで考えるのはナンセンスである。
しかし宗教の多様性、信仰心の相対性(中世と現代の)は少なからず人間の思考、行動様式に影響を与えているはずである。
ここまでみていくと、奥の深さをしみじみ感じるのであった。
『パンとサーカス』は450項まで読み進んだ。
おそらく明日か明後日には感想を書けると思われた。
つづく
公開日2023/5/5