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読書日記1050

             米原万里『真夜中の太陽』中公文庫 (2004)

■株式会社中央公論新社

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日記

昨日『アディクションと金融資本主義の精神』を読みながら自由競争について思いをめぐらせた。

自分は、自由競争という言葉が本当に意味するものは何かと考えていくうちに、実は簡単には定義できないと思い始めた。

米原万里が「膨張至上主義」のなかで良い点を突いていた。

銀行が次々と合併していく様子を見た米原万里は「独占禁止法」が景気回復の「大義名分」のもとに「許容」されている風潮を批判し、自由の概念について述べた。

“まず、自由なる市場を至上のものとして崇める傾向だが、自由という概念は、それ自体が常に矛盾を秘めている。” P52

米原万里はつづいて「競争において自由を求めるのは、常に強者の側だという真実である」と述べた。

その例として黒船来航を挙げた。

ロシアに精通しているからか、権力に敏感な米原万里のエッセイは読んでいて新しい視点を与えてくれる。

自分は本の観点から「自由競争」という点について思いあたることは、やはりAmazonなどの大企業による中小の書店への影響である。

しかし簡単に論じられるものでもない。

とはいえ、問題があまりにも複雑となってること自体、なんだか必然的に、半ば戦略的に「思考停止」にさせられているような気がしてくる。

・・・

例えば、あくまで相関関係でしかないかもしれないが、動画配信サービスの拡大と紙の書籍市場の衰退は間違いなく連関している。

「それの何が問題なのか」

と突っ込まれるのは当然であるが、動画配信サービスによって何が改善され、逆にどのような問題が起きるようになったのか。これを比較するのもまたややこしい。

例えば東進ハイスクールのような動画形式の授業をどこでも観られるというのは明らかに良いことだと思われる。

一方、過激な動画を投稿することによって再生数を伸ばそうとさせる動機を与えてしまうことは社会にとってマイナスだと思われる。

総合的に見て良いことなのか、悪いことなのか。

しかし今のネット空間に見られる現象を鑑みれば、あまり良いことだとも思えない。

・・・

はらだみずき氏の小説は、出版社に入りたくても入れなかった、紙を扱う会社で働く若者の物語である。

面白く、250ページ弱読み進めた。

質感、でざわり、感触、厚み。

電子化とアナログはうまく共存できるか考えさせられる。

公開日2023/6/9

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