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読書日記1060

     仲正昌樹『ヘーゲルを越えるヘーゲル』講談社現代新書 (2018)

■株式会社講談社

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日記

宮台真司『崩壊を加速させよ』の深さ・面白さを感じるようになってきたので、自然とウェーバーに関する関心は高まった。加えて一回挫折した『ヘーゲルを越えるヘーゲル』をもう一度読み直そうと思うようになった。

宮台氏は『崩壊を加速させよ』のなかで、近代の合理化から手続主義が広がり、手続主義の外側がない状態を「鉄の檻」と説明していた。

『マックス・ウェーバーを読む』も同じような説明がなされていた。

“ピューリタンの作り出した合理的秩序は、禁欲の精神を喪失したにもかかわらず、依然として人々の生き方を規定し続ける、「鉄の檻 ein stahlhartes Gehäuse」と化してしまったわけである。現代社会では、自己を再生産し続ける「資本」の論理に逆らって、”自分らしい生き方”をすることは、極めて困難である。それはマルクス主義で「疎外」と呼ばれている現象である。” P67

宮台氏の文章は専門用語が多く、自分で調べなければ理解できない箇所が多いので本書は参考書として役に立つように思われた。

・・・

なぜヘーゲルなのか。

個人的には池田晶子がヘーゲルについて肯定的にとらえている点と、現代思想の原点はどうやらヘーゲルの歴史哲学にあるようであることから、今一度入門レベル程度の勉強くらいはしたいと思った次第である。

内容的にはやはり難しいので、自分は [ ハーバーマス/リオタール ] の対立構造を読んで軽く理解するにとどめた。

前者は普遍的な正義はコミュニケーションを通じ、民主主義と自由主義を調和させることで可能だとし、後者のリオタールは『ポストモダンの条件』において名指しで否定したとされる。

自分はリオタールの主張に若干の共感を抱いた。

というのも、啓蒙主義というものは理性や合理性を重視するあまり、逆説的に失敗するような気がするからである。

マックス・ウェーバーの「鉄の檻」がその例であるように感じた。

道徳や共感の重要性を訴えたルソーはゲーテにことごとく否定されたそうであるが、自分はしばらく想像力と自由、知性の関係性について考えてみたい。

公開日2023/6/20

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