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読書日記1070

       エドマンド・バーク『崇高と美の観念の起源』みすず書房 (1999)

■株式会社 みすず書房

公式HP:https://www.msz.co.jp/info/about/#c14087

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/misuzu_shobo?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

その他数冊

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日記

今年中にはなんとか、ひとつの小説を応募したいと思った。

とりあえず読書に関しては、今日は読みたいものをとにかく読んでいこうと心の声が言っていた。

バークは「人の心は差異よりも類似を見出すほうが敏速であるうえ満足もする」と述べた。

これは共感できた。

物事をアナロジー(並行関係)で考えるのは人間の特徴である。

自分は2021年あたりに世の中のフラクタル構造についてアナロジーで捉えようとしていた。

個人的に好きな文筆家も「世の中はフラクタル構造である」と書いていたので、類似を見出す癖は人間に共通なものだと思われた。

また、24項にこうも書かれていた。

「(・・・)類似から発する快は想像力を主として喜ばせる物である以上、この提示された・・・以下省略 」

ひとまず、バークは外的な対象とかかわる人間の力を「感覚、想像力、判断力」の三つに分けてから、経験的に自明だと思われることについてひとつひとつじっくりと考察していく流れは掴めた。

長いのでゆっくり読みたい。

・・・

先ほどのバークが「類似を見つけると快感が伴う」といった記述は『アディクションと金融資本主義の精神』に無関係とは思えなかった。

とはいえ、人間の普遍的な性質について記述しているのだから内容が重なっても不思議ではないにせよ。

今日は「ギャンブル障害」について読み進めた。

擬合理的装置という概念は、偶然性のなかにある蓋然性を探ろうとする人間の直感形式に関するものであった。

これは要するに「ルーレットで5回連続で赤が出ればつぎは確率的に黒だ」という、中学数学レベルの発想である。

しかし統計的には赤と黒の出る確率はそれぞれ50%ずつ収束するが(大数の法則)、100回連続で赤が起こっても何も不思議ではない。つねに確率は1/2である。

これは連続性という「規則」が、偶然性のなかに「存在している」と「勘違い」するひとつの誤謬である。

自分は途中まで読んでいくなかで「擬合理的装置によって推論が働き、その推論が的中すると「アハ体験」が生まれるが、これがドーパミンと関係あるのではないか」と考えた。

そして本書を読んでいき、これに関する新しい発見があった。

「アハ体験」という「経験」からではなく、むしろ「報酬の予測」のほうによってドーパミンが分泌されるということであった。

“ドーパミンの放出は勝利の経験によってではなく、むしろ報酬の予測と報酬の不確実性によって引き起こされていた。” P114

これを先ほどのバークとの話と繋げていくと、類似を発見したから快感を伴うのではなく、類似を予感したから快感を伴うということなのだろうか。

自分が思い描くシナリオが未来に来ると予測できればたしかに快感は伴う。

しかしそれがあまりにも現実から離れていれば予測したところで快感は伴わないはずである。

この点に関する追求が弱いように思えた。

・・・

大澤真幸氏の本は70ページ読んでもやはりよく分からなかった。

同じ社会学者の宮台真司氏、上野千鶴子氏や亡くなった小室直樹の本は分かりやすいが、どうしても大澤氏とは相性が悪いみたいである。

この本は東氏の『動物化するポストモダン』も併せて読めばなんとか理解が進みそうであるが、いまいちピンとこない。

NHK出版新書から出ている『新世紀のコミュニズム』も買ってみたが、こちらも読んでみて理解できそうもなければ大澤氏の本はしばらく避けようと考えた。

つづく

公開日2023/7/3

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