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読書日記1077

      ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』河出文庫 (2022)

■株式会社河出書房新社

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その他数冊

つづきをよみすすめた。

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日記

『ホモ・デウス 上』は230項弱まで進んだ。

本書の内容は厳密には地続きとなってはおらず、断片的な未来予測が語られていく印象だ。

今日は家畜化された動物への倫理的問いかけから、心の話に関する考察を読んだ。

読んでいて思うのは、動物には意識があるか、ないかという二元的な物の見方に対する疑問であった。

なぜグラデーションを考えないのだろうか。

人間でさえ、生まれてから生後1年程度の頃の記憶をたどるのは難しい。

現代科学は植物状態の人と、身動きがとれず、言語が喋れない状態にあるが意識はある人を機械を使って見分ける方法はある、と書かれていた。

赤ん坊はどうなのだろうか。言語が喋れないが、意識はあるのか。

しかしハラリ氏も言うように、これは主観的な問題であり反証ができない。

だから問題の解決をニューロンへと還元しようとするわけである。

・・・

ハラリ氏の比喩は分かりやすいものであった。

ニューロンも物質である。しかし集合になると「意識」が生まれるとされる。

車が渋滞になると、つまり集合しても渋滞には「意識」などない。

物質は物質自体で勝手にやってくれる。

しかし何故かニューロンだけは関係のない「私」に痛みを、喜びを、感動をもたらす。

この飛躍をどう説明できるというのか。

池田晶子が言っていたように、物事を全て物質に還元しようとする唯物論的な考え方では、いつもこのように袋小路となるのが脳と心の話である。

ここまで読むと、AIに心は宿るのかという問いに対しては多少の説明ができそうである。

細胞を持たないただの「アルゴリズム」がどうして心を持ちうるのか。

動物も人間も何らかの「アルゴリズム」を持っているが、どうやらコンピュータの「アルゴリズム」とは似て非なるもの、つまり「感覚」が副次的に伴うのである。

物質から感覚へ。

この飛躍の謎は分からないにせよ、AIが感覚までもあわせ持つとは想像し難い。

公開日2023/7/10

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