■株式会社河出書房新社
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つづきをよみすすめた。
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日記
250項まで読み進んだ。
読み進めば読み進むほど、次第にディストピアな未来が見えてくるようであまり良い気分にはなれなかった。
ハラリ氏は、自由意志問題はまだ結論はついていないとしたが(上巻)、下巻では自由意志はほぼ無いという見方で未来が描かれた。
ハラリ氏は本書について、重視しているのは未来予測が当たるかどうかの精度ではなく、人間がこれからやりそうだと思われることを述べていく、と前置きをしている。
したがってこの本は彼自身の考えは勿論反映されてはいるが、私見をある程度押し殺して歴史的な知見がかなりの割合で予測に影響を与えていると思われた。
文章を読んでると、ハラリ氏の「客観的に物事を捉えよう」という構えが感じる。
自由意志がほぼ無いとハラリ氏が見ているのは、根拠として様々な心理学の実験がそう示しているからだとされる。
その根拠として、本書では「ピーク・エンドの法則」を挙げている。
この法則についてざっくりまとめるならば、苦痛の「総量」ではなく「ピークの瞬間」と「エンドの瞬間」の「平均」が自身の全体的な経験の印象を決める、というものである。
ハラリ氏がいうには「経験する自己」と「物語る自己」がいて、前者はなにも覚えておらず、後者は時間に無頓着という性質をもつ。
本書では例として出産が挙げられた。
苦痛は甚大だが(ピークの瞬間)、最後に幸せな瞬間が来る(エンドの瞬間)ことで、全体の平均が下がり、長い長い陣痛の辛い記憶が薄くなっていく。
ある種の認知バイアスのようなもので、哲学的に突き詰めると「自分=自己」は複数あり、「一貫性」に欠け、まるで「アルゴリズム」に従っているだけの有機体として見えてしまう。だから自由に対する懐疑がわく。
仮に人間が有機体としての「アルゴリズム」でしかない生物だとすれば、どうすれば幸せになれるか、どうすれば健康になれるかは遥かに賢い「AI」が教えてくれる。
ややAIを万能視している感じが否めないが、ハラリ氏によればただのアルゴリズムであれば、最適な時間で最適な行動は計算できるということである。
いいねボタンであったり、購買歴、閲覧歴など、あらゆるデータがAIによって蓄積されていく。
最適な行動を教えてほしい人間はますますAIにすがるようになる。
本書では理想の交際相手ですらアプリが教えてくれるようになる未来も描かれている。
233項にはこの究極的な結末が書かれている。
“自由主義は、システムが私自身よりも私のことをよく知るようになった日に崩壊する。” P233
自由などなく、ただのアルゴリズムに従うだけの生物であれば、より自分をハッピーにしてくれるAIにすがる社会になる。
人間の家畜化について様々な書物があるが、AIの家畜になるという未来である。
ニーチェ「神は死んだ」の次は、AI「人間は死んだ」になるのだろうか。
非常にざっくりとしたまとめなので、ほとんどの内容を省いている。
流れが掴めれば再読した時にするっと頭に入るため、輪郭だけを書いた。
気になる方は是非ご拝読を。
つづく
公開日2023/7/13