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読書日記1082

             池田晶子『考える日々 全編』毎日新聞出版 (2014)

■毎日新聞出版株式会社

公式HP:https://mainichibooks.com/index.html

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/mai_shuppan

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日記

いろいろと考える一日であった。

まずハイデガーの「情報とは命令である」という命題について考えてみた。

昨日、楠木建『室内生活:スローで過剰な読書論』を軽く立ち読みしているときに「読書の価値は事後性にある。すぐに役に立つ情報など大して役に立たない」といったことが書かれていたことと関連しているように思われたからである。

ブログも似たようなものである。

正直なところ、自分はくだらない情報ばかりを発信しているブログが少なくないと思っている。とはいえ、ブログをどう運営するかは自由でなければならないし、本人が満足していればそれをどうこう言える立場にはないが。

彼らは情報を与えているが、情報は知識ではないということはしっかりと押さえたい。

そして、これは情報を知識だと思い込むこと、そして何かの知識を得たと思い込むという二重の過ちをおかすことになりかねない。

自分も公に何かを発信している以上、ただ情報を発信するようなくだらないものには絶対にしたくないと考えている。

ここまで考えていくと、ハイデガーの言葉が確かに実感として身に沁みる。

・・・

巷には、ストレスをためないためには○○しましょうだとか、睡眠には○○が大事だとか、そのような情報がバカみたいに溢れている。

抽象度が低い情報はおしなべて無価値である。BOOK・OFFの100円コーナーに行けばそのような情報本がどっさりと積まれている。見苦しい限りである。

自分はeasy come, easy go という言葉は大学生の頃によく意識していた。

英単語は苦労してようやく身に付く。

苦労しなくとも身に付くものは、結局すぐに消える。

遠回りは近道。

これは自分が掲げた20代のひとつのテーマであった。

困難なほうにこそ実は近道がある。世の中には逆説がつきものだ。

だからこそ、抽象度を上げて汎用性のある理論を組み立てるべきではないのか。

・・・

人は悲しい時に敢えて悲しい曲を聴いてカタルシスを得ることができる。

楽しい時に楽しい曲を聴いて盛り上がるように。

ストレスを哲学的に考えてみると、経験の内容(今まさに感じている感覚)と意識の内容(それを客観的にとらえる自己)が一致すれば今の例のように、ストレスは発散するのではないかと自分には思われた。

認知行動療法(CBT)もこの理論で成立しているように自分には思われる。

経験の内容と意識の内容のズレからストレスがかかる。

認知再構成法はこのズレを直し、両者を近似させる営みである。

物事の内容ばかりに目をとらわれるのではなく、もう少し形式について考えてみるべきではないか。

ソクラテスはなぜ平穏で、なぜ彼は何故死刑を宣告されてまでも冷静でいられるのか。

これを突き詰めればストレス問題も解決できると思われる。

冷静でいられるのは、死刑をなんとも思っていないからだと思われるのであるが、では何故死刑を宣告されても平穏でいられるのか。

不安は情報不足から来るという。

裏を返せば、情報があれば不安はない。

ではソクラテスはなにに対する情報を持っていたのか。

ここまで考えてみると、いかに世の中にはくだらない情報で満ちていると分かる。

ここで池田晶子の言葉が幅を利かせる。

延命治療に関するエッセイである。

“生きるとは存在することであると深く思い込んでいるからで、そうでなければ、半年よりは二十年という量の発想が出てくるはずがない。(・・・)じっさい、生命によって存在すること、すなわち生存という存在形式は、生でも死でもない存在そのものから見れば、その一形式にすぎない。” P322

公開日2023/7/17

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