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新・読書日記112

ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』紀伊国屋書店(2014)

■株式会社紀伊國屋書店

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日記

今日は何をしても眠い一日であった。

さすがに、読書が進まない金曜日というのもあるなと感じた。

そんななかでも、とりあえず最低限の量は読むことにしている。

いったんピアノの練習をやめてある程度期間が経つと、今までのレヴェルに戻すのが大変だという話をなにかの本で読んだことがある。

なので毎日少なくとも30分は読むように心がけたい。

  

・・・

ヒュームは「理性は情熱の召使にすぎない」ということを語ったそうである。

プラトンと真っ向から反対する。

「心のない世界に道徳は存在するか?」と問えばいい。

そして「なぜ戦争は永遠に無くならないのか?」と問えばいい。

   

心理学の実験に関する話しが印象的であった。唐突に道徳を問うインタビューのについてである。

「理由は分からないが、自分はそうとしか思えない」という表明は何を意味するのか。

世界には、それが合理的かどうかは関係ない道徳的な問いはいくらでもある。

例えば、「愛犬が亡くなったので調理して食べてもよいか?」といった問いである。

「世界的にはその社会の慣習が、その成員の道徳心を形成する」という具合に話は落ち着いた。

普遍的な法則というものはおそらくない。各々は、各々を形成した社会によって大きく変わり、さらにその時代にも制約されている。

  

ただ、抽象的にはやはり「自分が生きている社会が保有する道徳法則に従うべきだ」という問いには概ね「YES」と答えるだろう。

「そんなこととは関係ない」と、インドのとある部族は主張するのかもしれないが、無意識のレヴェルでそうなっているように自分にはみえた。

  

本書の帯には「リベラルはなぜ勝てないのか?」と書かれている。自分も関心のあるトピックである。

チャールズ・テイラーもリベラルの自由に対する態度(消極的自由=制約からの自由)を批判している。

この問いを念頭におきつつ、明日も少し読んでみたい。

つづく

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