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読書日記1086

          トーマス・ベルンハルト『新装版 消去』みすず書房 (2016)

■株式会社 みすず書房

公式HP:https://www.msz.co.jp/info/about/#c14087

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/misuzu_shobo?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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日記

ジュンク堂で1時間ほど時間をかけ、この作品を読んでみようと決めた。

パラパラめくってショーペンハウアーやヘーゲルといった文字が見えたので、面白そうだと感じた。

「文学界のグレン・グールド」

「20世紀のショーペンハウアー」

このように裏には書かれている。

長い時間をかけて60ページほど読み進んだ。

「反復と間接話法を用いた独特の文体」

何を言っているか分からなかったが「反復」のことは読んでいて気づいた。

文学の面白さを教えてくれた叔父、しかしそれを全く理解しない自分の家族を対比させて、これでもかという程にその内容が書き連ねられていく。

・・・

自分は昨日、文学作品に触れてもう一度人間について再び考えてみようと書いたが、文学のありかたについてピンと来るものがあった。

文学は教科書的な知を更新、もしくは解体する役割を持っている。

ジル・ドゥルーズは「哲学とは何か」という問いに対するひとつの答えとして「新しい概念を創造こと」と書いていた。また、哲学だけが全ての学問に対する批判的思考を持ち得る、というニュアンスのことを書いていた。

日本では「文学=小説」と思われる節もあるが、本質的には文学も哲学もさして変わらない。

教育機関で学べないことは沢山ある。

文学がその全てを担うことはできないが、やはり空白を満たすために必要とされるべきである。

公開日2023/7/22

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