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+トーマス・ベルンハルト『消去』
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日記
今日も『消去』に長い時間をかけ、300項まで読み終えた。
メモ
“プロレタリアとは工業化以前には存在しなかった産業人間であり、機械に絶えず辱められ、その辱めから身を守ることができずに卑しめられる機械の奴隷だが(・・・)機械と会社によって人間の相当部分、いや、大部分が破壊され、否定され、耐えがたいものに変えられてしまった、と私は(・・・)考えた。” P274
・・・
『事象そのものへ!』を読むと言葉の使用について考えさせられる。
古い言葉で言えば「言霊」である。
もはや死語になりつつあるように思う。
心理学的に証明されているかは分かりかねるが、嘘でも「楽しい」という言葉を呟けば楽しくなることもある。口角をあげれば気持ちが和らぐこともある。経験として少なからずある。
おそらく「楽しい」と呟くことによって「楽しい」と繋がってる記憶がある程度想起されるからかもしれない。
表情も何らかのメカニズムがあるのだろう。
・・・
池田晶子は「現実」という言葉が便利なものであり「自分の外」にあるかのように作用することに言及した。
現実とは言うまでもなく事実のことである。
ところが、哲学は「現実離れしている」と時々言われる。
しかし、言葉が本来の意味とかけ離れて使用されるのはその「現実」のほうだと思うときもある。
形式的な国会の答弁。形式的な謝罪会見。
形式と論理を追求したヴィトゲンシュタインとヘーゲルがここで幅を利かせる。
本書を久しぶりに読んだが「現実的」で重厚な内容である。
これも定期的に読んでいきたい。
つづく
公開日2023/7/28