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読書日記1110

           リチャード・O・プラム『美の進化』白揚社 (2020)

■株式会社白揚社

公式HP:https://www.hakuyo-sha.co.jp/

公式X(旧 Twitter ):https://x.com/hakuyo_sha?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

つづきをよみすすめた。(読書日記1108に収録)

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/07/20/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%981109/

   

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日記

今日はあずまやとその存在理由を「脅威削減仮説」というものから説明できることについて読んだ。

そのあと260項あたりまで読み進めた。

本書はかなり手応えのある本で、今思えば最初から最後まで読むだけで精一杯であった。

249項には以下のことが書かれていた。

“基本的に、一つの進化機構は別の進化機構と対立しているのだ。” P249

例えば子孫を残すためだけの進化機構(要するにモテるようになるための進化機構)と環境に対する適応としての進化(例えば、あまり水が得られない環境でいかに節水に特化するための進化をするか等)は別々のベクトルで機能しているというような話であった。

それは理解できるが、しかし思うのは「主役は誰だ」という疑問であった。

「モテたい」というのは心の欲求であり、「生きたい」という欲求は身体の欲求であるようにみえる。この場合、どちらも同じ一つの個体ではあるが、欲求は複数ある。

鳥でさえも、「モテたい」という進化機構が強く働き、生存に不利になる様式で進化が進んでいる例もあるという。

鳥なら分かるが、これが昆虫や菌になってくるとさらに難しいかもしれない。

とにもかくにも、だれがだれのためになにをして生きているのか、という問題を進化論に繋げてみると恐ろしく意味が分からなくなってくる。ということは理解した。

意識の境界線、生死の境界線が曖昧になればなるほど難問が増えていくようにみえる。

公開日2023/8/17

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