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その他数冊
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日記
ポール・ヴァレリーの本は執行草舟氏の影響でいろいろと読み漁っている。
『ポール・ヴァレリー1871-1945』では、考えるおじさんの話を書きたいとヴァレリーが思っていたことを読み取った。
実際読んでみると本当にいろいろと考えているおじさんの話ではあるが、自意識の暴走という表現が合っているかわからないが、どうやら相当に錯綜している様子が伝わる。
なにを言いたいのかは言うまでもなくさっぱりわからない。ポール・ヴァレリーの断末魔という印象が大きい。
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大熊氏の本は世界的な文学の潮流、思想的な傾向を紹介もらえる内容となっている印象を持った。
ムッシュー・テストに時間を割きすぎたのでまだまだ読み足りない。
オルテガの芸術論を多少読んでみたものの、これもまたパッとしない。
そして自分は思ったこと、考えたことをノートの書きなぐった。
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まず芸術と公共性について。
公共性なき芸術は芸術と言えるか。ノーでもありイエスもである。これはややこしい問題である。
優れた芸術は大抵理解されない。自分もいまだに誰が最も優れた芸術を生み出したのかさっぱり分からない。
しかし芸術には息苦しさを破壊する力を秘めている。
ユーモアは芸術の一側面である。
芸術で溢れている街を想像すればすぐに分かる。
そうではない、なにも都市計画がなされていない街が美しいと思えるだろうか。人間的な生活を営めるだろうか。直線的な、幾何学的な都市は美しいだろうか。世界の絶景で出てくる街は非線形が多いはずである。
公共性の最も大事なところは独占されない点にある。
独占されてしまうような芸術はそもそも芸術といえるのか。これもまたややこしいが、万人のために開かれた芸術は芸術の必要条件ではないか。
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以下メモ及び思索
自由について。
自由という言葉は、それについて考え抜いた時間に比例して意味も変わる。
経済的、物理的な自由だけが自由だと考える連中に自由はない。
したがって、自由という言葉がその人間の口から連発される度に、その言葉の意味は薄まるのである。マックス・ピカートのいう沈黙とは思索のことなのではないか。
芸術と自由を安易に結びつけるのは低俗な考えのようにみえるのである。
公開日2023/8/19