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読書日記1119

                鹿島茂『書評家人生』青土社 (2023)

■株式会社青土社

公式HP:http://www.seidosha.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/seidosha?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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日記

この方は読書日記系の本を多く出している。

そしてその対象の本も分野が多様で、理工系から人文系、エッセイや詩といったラインナップであり次に読みたい本を見つけるときに使うもよし、見識を広めたいときに読むのもよし、とりあえず読書をしたいときに読むのもよしと、読書好きには有り難い一冊である。

2年前に夢中になって読んだ『善と悪のパラドックス』もこの本で触れられている。

『バカロレア幸福論』の書評や、シモーヌ・ヴェイユに関する箇所を読んだ。

フランスでは哲学教育が日本よりも遥かに進んでいるようである。

日本のセンター試験のようなものに「哲学」という科目があるようなイメージである。

記述式で、哲学的な問いに対して受験者の考えを問うようである。

カント、ベンサム、ヒュームなどの哲学者の考えを吸収することで考えに幅が生まれ、哲学的な思考の「型」を自分の思考法として習得することができるのだという。

自分もカントの義務論や定言命法、そして美学的な考え方に大きく影響を受けた。

少し気になったのは「思考の型」という表現である。

考え方に「型」というものはいるのか?

自分はあまりそうは思えなかった。

何故考えるのか?

雑念は考えること、とは言いにくい。

考えるのは、考えたいことがあるから考えるのであって、そこに型は要らない。

つまり、この本の言う型とは知識のことではないか。

しかし知識だけでは足りない。

よく、哲学は驚きがあるからするものだと言われる。

ならばその驚きを持てない人に対して哲学を教えることは難しいのではないだろうか。

型は知識のことで、哲学的な知識は思想のことだと思うのだが。

しかし、池田晶子の本を書評する人があまりいない。

何故なんだ。

そのほうが驚きである。

公開日2023/8/26

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